見出し画像

岡本かの子と堀辰雄

 岡本かの子

 年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐ命なりけり

 この歌はかの子の作品『老妓抄』の最後に置いてある。年毎に悲しみが深まるというのは老人なら理解できる。だが、命がますます華やぐという感覚は私には無い。だが、かの子に取っては本当の事だったのだ。それがかの子の宗教的深みなのか、人間としての深みなのかは分からないが。

 堀辰雄

 堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭近くで語られる有名な台詞「風立ちぬ、いざ生きめやも」。これは美しい響きの言葉であり、印象深い句なのだが、誤訳であることでもよく知られている。
「風立ちぬ」の巻頭には、ヴァレリーの詩の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」が引かれていることから、「風立ちぬ、いざ生きめやも」はそれの翻訳であることは明らかではある。
 原詩の意味は、英語で”The wind is rising, you should try to live”くらいの意味だということだ。
「風が起きた、(お前は)生きることを試みねばならない」
「めやも」は「む」(推量の助動詞)の已然形「め」と係り助詞「や」と係り助詞「も」が合わさった者で、意味は反語になる。「~だろうか。いや~ない」
最も有名な使用例としては、大海人皇子(後の天武天皇)の御製、
「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋めやも」
万葉集・一・二十一
がある。

 紫草のように美しいあなたが憎いと思うならば、あなたが人妻であるというのに、私が恋しく思うことがありましょうか。(いや、憎いなどと思っておらず、恋しく思っております。)
「生きることを試みなければならない」と「いや、生きるだろうか」とでは全く意味が違う。
 古文法がよく理解できないままに訳してしまったのだろうか。まあ、文学の持つ意味と文法上の意味には乖離があったとしても、それはそれでいいのかもしれない。



 まだまだ紹介したい詩歌はあるが、私の力量ではこの辺りが限界だろう。




年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐ命なりけり


この歌はかの子の作品『老妓抄』の最後に老いてある。年毎に悲しみが深まるというのは老人なら理解できる。だが、命がますます華やぐという感覚は私には無い。だが、かの子に取っては本当の事だったのだ。それがかの子の宗教的深みなのか、人間としての深みなのかは分からないが。



堀辰雄


 堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭近くで語られる有名な台詞「風立ちぬ、いざ生きめやも」。これは美しい響きの言葉であり、印象深い句なのだが、誤訳であることでもよく知られている。


「風立ちぬ」の巻頭には、ヴァレリーの詩の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」が引かれていることから、「風立ちぬ、いざ生きめやも」はそれの翻訳であることは明らかではある。

 原詩の意味は、英語で”The wind is rising, you should try to live”くらいの意味だということだ。

「風が起きた、(お前は)生きることを試みねばならない」

「めやも」は「む」(推量の助動詞)の已然形「め」と係り助詞「や」と係り助詞「も」が合わさった者で、意味は反語になる。「~だろうか。いや~ない」

最も有名な使用例としては、大海人皇子(後の天武天皇)の御製、

「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋めやも」万葉集・一・二十一

がある。

紫草のように美しいあなたが憎いと思うならば、あなたが人妻であるというのに、私が恋しく思うことがありましょうか。(いや、憎いなどと思っておらず、恋しく思っております。)

「生きることを試みなければならない」と「いや、生きるだろうか」とでは全く意味が違う。

古文法がよく理解できないままに訳してしまったのだろうか。

まあ、文学の持つ意味と文法上の意味には乖離があったとしても、それはそれでいいのかもしれない。



 まだまだ紹介したい詩歌はあるが、私の力量ではこの辺りが限界だろう。



いいなと思ったら応援しよう!