西行の足跡 その46

神仏の条
 
44「玉垣も朱(あけ)も緑も埋もれて雪おもしろき松尾(まつのを)の山」 
 山家集上・冬・537
 玉垣の朱色も御山の緑も雪にすっかり埋もれて、松尾山は神域全体が白一色に美しい。
 
「社頭雪(やしろのほとりのゆき)」という歌の題を詠んだものであるということだ。社頭歌合というのが同時代に流行したという。『広田社歌合』などが有名だとのこと。
 
「天の戸の開けし昔の心地しておもしろしとや神も深雪を」 
 教長集(貧道集)・冬
 天の岩戸を開いたときに、神々が哄笑した。その面白かった昔を思い出して、神も雪の白さを存分に堪能しているだろうか。
 
「降る雪に神の御室もおしなべて白木綿(しらゆふ)かくる朱の玉垣」 
 教長集(貧道集)・冬
 雪が降ると神の降臨する場所か否かを塔ことなく、朱の玉垣の内も外も白木綿をかけたようにすべてが白一色に包まれる。
 
「面白し」とは、目の前がぱっと明るくなると言うことが本来の意味だ。だから、アマテラスが天の岩戸から顔を覗かせると神々の顔が明るくなったというのが語源であると、『古語拾遺』の主張である。
 和歌では、神楽の興趣を中心とした神の喜び、雪月花のような白い色に備わった、明るく晴れ晴れとした美しさを表現する時に用いられるようになった。実際、教長も西行も神域にふる雪を「おもしろし」と表現している。朱や緑との対照される「白」が、神域の美しさとして強調されているのである。
 
 西行にはもう一首「おもしろし」を読んだ歌があるが、西澤教授によれば西行の真作とは断定できないそうだ。
 
「梢見れば秋にかはらぬ名なりけり端おもしろき月読宮」 
『西行物語』から
 神域の桜を遠望しただけで、花の白く美しい評判が、やはり白く美しい月を見る秋と同じくらい、高いのがよく分かる。月読宮(つきよみのみや)に咲いた花は実に美しい。
 
 なお、「玉垣は朱も緑も」の初二句は次の歌を知らないと、難解であると西澤教授は言う。
「住吉の松の下枝(しづえ)に神さびて緑に見ゆる朱の玉垣」 
 後拾遺集・神祇・蓮仲法師
 住吉神社は、松の下枝が神域を覆って、朱色に塗られた玉垣までが緑に見える。そのためにいよいよ美しく神々しく見える。
 
 巨大な松が玉垣をも覆っている。緑の仲から玉垣の朱色が見える。だから、朱の玉垣も、(松の)緑も、という意味であり緑の玉垣があったわけではない。
 さて、それを踏まえると、西行の歌は近くに寄れる神域(朱)も、踏み越えては鳴らない神域(緑)も、雪が神域全体を白一色に埋め尽くしたため、一様に白色の世界に一体化されている。    
 つまり、「禁足地である聖域」の中にいるかのような幻想が喚起されるのだ。それは、境界の外側を越えてはまた境界の内側に戻ってくる、西行独自の境地のことが思い起こされる。
 

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