百人一首についての思い その64
第六十三番歌
「今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな」
左京大夫(さきょうのだいぶ)道雅
今となってはあなたのことは諦めようと思います。その気持ちを人伝にではなく、直接あなたにお伝えする手段がないかと思うばかりです。
Our love has become forbidden,
but I want to meet you one last time,
Rather than your hearing it from others
I want to tell you myself
that we can never meet again.
第五十六番歌に出てきた人物に、儀同三司母という人がいる。その人の孫に当たる藤原道雅がこの歌の詠み人である。
「今となってはあなたのことを諦めるしかない。その思いを人づてではなく、あなたに直接伝える手段はないかと思うばかりです」というのがこの歌の意味だ。ややこしい掛詞や技法は用いずに、真っ直ぐに相手の女に対しての思いをぶつけている。藤原の道雅の祖父は藤原道隆で、関白にまで上った。父親は儀同三司母と藤原道隆との間に生まれた藤原伊周だ。
道雅は26歳で従三位にまで上った。道雅は、第67代三条天皇の第一皇女当子(とうし)内親王との恋に落ちた。ところが、三条天皇はこの当子内親王を非常に可愛がっていて、良い結婚相手をさがしてやろうと思っていた。我が儘で身勝手な道雅は、三条天皇のお眼鏡にかなわなかった。
三条天皇は当子を母の娍子(せいし)のもとに引き取らせ、当子内親王と道雅の手引きをした乳母の中将内侍までも宮中から追放した。当子内親王は落飾して23歳の若さで亡くなった。
万寿元年(1024年)12月6日に花山法皇の皇女である上東門院女房が夜中の路上で殺され、翌朝に死体が野犬に食われた姿で発見された。この事件は朝廷の公家達を震撼させ、検非違使が捜査にあたり、翌万寿2年(1025年)3月に右衛門尉・平時通が容疑者として法師隆範を捕縛する。検非違使が尋問するも隆範は口が堅く、7月25日になってようやく隆範は道雅の命で皇女を殺害したと自白する。この自白の連絡を受けて、権力者の藤原道長・頼通親子も驚嘆したという。
道雅にはこのほかにも乱行があり、「荒三位(あらさんみ)」と呼ばれた。家柄に地位にも恵まれた男だったが、我が儘で身勝手な道雅を娘の相手にはふさわしくないと三条天皇は見抜かれたので、二人を引き裂いた。娘の当子内親王は辛かっただろうが、父親の三条天皇はもっと辛かっただろう。二人の愛の成就よりも、上の人間は正しくあらねばならないとの思いから、道雅のような我が儘で身勝手な男から、娘を守るために二人の仲を引き裂いたのだ。
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