百人一首についての思い第四六番歌


「由良の門(と)を渡る舟人かぢを絶えゆくへもしらぬ恋の道かな」 
 曾禰好忠(そねのよしただ)
 まるで由良川の河口で櫓をなくした小舟みたいな物で、どこへ行くかも分からない恋の道なのです。
 
 Crossing the Straits of Yura
 the boatman loses the rudder.
 The boat is adrift,
 not knowing where it goes.
 Is the course of love like this?
 
 この人は歌人としては非常に優秀で斬新な歌を詠んだという。しかし、一方では大変プライドが高かったという。
 寛和(かんな)五年(985年)2月13日円融上皇が船岡に御幸になり、紫野で歌会が開かれた。その会には曾禰好忠は招待されていなかったにもかかわらず、招待席に座った。
 自負心の強い人間だから、「俺が招待されるのは当然のことだ」という考えだったのだろう。しかし、招待されていない人間がそのようなことをしてはいけないというのは常識の範囲で考えればすぐに分かることだ。結局は招待されていないので追い出された。
 
 普通の人でさえも、「俺が俺がの我を捨てておかげおかげの下で暮らす」(良寛)という態度に徹するのは非常に難しい。人はどうしても自分の意見を通したがるし、自信のある人ほどその傾向が強い。しかし、謙虚さをなくしてしまえば他人に嫌われるのは当然だし、自らの身を滅ぼす事になりかねない。
 
 しかも、偏狭な性格で自尊心が高かったことから、社交界に受け入れられず孤立した存在であったという解説があるくらいの人だ。これではみなから嫌われない理由がない。
 この歌を配置したことで、「俺が、俺が」という思い、つまり「我を張る」姿勢を「かぢを絶えゆくへもしらぬ」と例えた。そして、この作者に対してそこまで我を張るというのは人の道を見失っていると糾問したのだ。藤原定家さんはたいした人物だと言わざるを得ない。
 

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