西行の足跡 その40

仏教の条
 
38「世の中をいとふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」 
 山家集中 雑・752
 俗世が穢土であると観念して、現世の執着を捨てることは、さすがに遊女のあなたには難しいでしょうが、一時の雨宿りを恵むこともあなたは惜しいのですか。ちょっと宿を貸してください。
 
 この歌の詞書きにはこうある。
「天王寺へまゐりけるに、雨の降りければ、江口と申す所に宿を借りけるに、貸さざりければ」
 
 西澤教授によれば、「仮の宿り」には二重性があるという。一時の雨宿りや旅宿の意味と、儚い現世や無常の現世という二つの意味があると言うのだ。
 だが、管弦や遊興をする遊女には厭離穢土欣求浄土を理解することまでは求めていない。現世の執着を今すぐ捨てろとまでは求めていない。せめて、今夜の宿をかしおくれよと呼びかけている。
「家を出づる人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」 
 山家集中・遊女妙・雑・753
 あなたが出家の方だと伺ってお断りしたまでです。現世への執着であれ、一時の雨宿りであれ、出家のあなたに採っては仮のものでしょう。ですから、そのまま放念なされるのがよろしいのかと思ったまでのことです。あなたこそ現世に執着なさっているのでは。
 
 この歌を返した遊女妙は、一気に勅撰歌人となり、『新古今集』に掲載された。ただし、初句が「世をいとふ」と改められたが。謡曲『江口』では、さらにいろいろと工夫が凝らされて、実は普賢菩薩の化身であったという話になった。やはり、この遊女妙はただ者ではなかったのである。
 
 そして、西行を尊敬していた松尾芭蕉は「一つ家に遊女も寝たり萩の月」という句を詠んだ。この句は越後の国一振の関で詠んだものだ。
 

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