百人一首に選ばれた人々 その13
第四章 没落する古代氏族
第七番歌 安倍仲麿(阿倍 仲麻呂)
もろこしにて月を見てよめる
「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」
『古今集』巻九羈旅歌 四〇六
この歌の意味は今更くどくどと言うまでもない。さて、遣唐使として航海するのはというのは危険な目に遭うのが当たり前のことだった。暴風雨に巻き込まれれば海の藻屑と消えてしまう。それにしても、遣唐使達は朝鮮半島の沿岸に沿って航海した。陸地を見ながら、暴風が来れば、陸地に避難すれば安全である。日本は海洋国家であり、造船技術も当時から高かったが、朝鮮半島に渡って、陸路で唐に入るほうが危くないのではないかと思えるが、なぜ海路で唐に入ったのだろうか。それは、朝鮮半島の住民や山賊による襲撃、略奪が酷いものだったからだ。
さらに、中期以降は朝鮮半島を避け東シナ海ル―トに変えた。海路でも朝鮮の海賊に襲われるようになったからだ。
仲麻呂は、帰国に危険な航海をしなければならないことが分かっていたので、望郷の思いを歌に込めた。もしも自分が死んだとしても、仲間の誰かが自分の望郷の思いを故郷の人に伝えてくれればいいという気持ちでこの歌を詠んだのだ。
第十一番歌 参議篁
隠岐国に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて、京なる人のもとにつかはしける
「わたのはら八十島かけて漕ぎ出ぬと人には告げよ海人の釣り船」
『古今集』巻九羈旅歌 四〇七
小野篁は第十九回遣唐使に際して、乗船を拒否した。その前には遣唐使として出発はしたが、遭難したらしい。そのためにむなしく帰国した。その後遣唐使派遣は56年間も中止されていて、菅原道真の提言によって、遣唐使廃止が決定された。
唐の国威が衰えていること。唐から学ぶべきものがなくなってきていること。遣唐使が朝貢のように扱われている事。遭難が多くて、日本の有意の人材を失うこと。それらが、遣唐使廃止の理由だったという。まさに「おほみたから」を失うことは大きな損失である。そのような観点から遣唐使廃止を進言した菅原道真公には日本人として感謝あるのみだ。
日本人は他者から学ぶことが大好きである。自分達に欠けているものを見いだし、どうすればそれを入手できるのかと真剣に考える。だから、漢字を輸入し、ひらがな、カタカナを作り出して、世界的にも珍しい三種の文字を混ぜて漢字仮名交じり文を発明した。
漢字があるおかげで、造語力は飛躍的に増す。漢字を読めばなんとなく意味がすっと分かる。たとえば「文化人類学」という文字を読んだら、なにかしら人間の生活や制度を通して、民族や社会の研究をする学問なのだと分かる。ところが、英語では”cultural anthropology”と言う。この英語を読んで何人の英語話者が内容を理解できるというのだろうか。
また、明治時代には御雇外国人、つまり欧米の技術・学問・制度を導入して「殖産興業」と「富国強兵」を推し進めようとする政府や府県などによって雇用された外国人を大量に雇って、西洋の技術や法律、政治その他を貪欲に学んだ。そのおかげで、日本は少しずつ西洋社会の仲間入りを果たした。
今日では、日本の大学では日本語だけで物理、化学、数学などの学問ができる。インドなどでは、現在も大学の講義は英語であると聞いた。これは大きな違いである。いずれにしても、今日の日本の繁栄は先達の努力おかげであることを忘れてはならないし、常に他者から学ぶべき事は学び、捨て去るところは捨て去るという覚悟を新たにしなければならないのではないか。