百人一首についての思い その89
第八十八番歌
「難波江の葦のかりねのひとよゆゑ身を尽くしてや恋ひわたるべき」
皇嘉門院(こうかもんいん)別当
難波江に生える葦の刈り根の一節のような、そんな短い一夜の契であっても、私は身を尽くして恋い続けるのでしょうか。
For the sake of one night
on Naniwa Bay,
short as the nodes
of a root-cut reed,
must I love you with all my heart?
『千載集』の詞書きにはこうある。
「摂政右大臣の時の家の歌合に、旅宿逢恋(りょしゅくにあへるこひ)とへる心を詠める」
つまり、与えられたお題に沿うような歌を詠んだのだ。
「刈り根」と「仮寝」、「ひとよ」で「一夜」と「一節」、「身を尽くし」と「澪標」、「恋ひ」と「乞ひ」と多数の掛詞を駆使している。
皇嘉門院別当は、「保元の乱」で天皇の地位を追われた崇徳院の皇后である、皇嘉門院聖子(きよこ)に仕えた。そのような立場の人が、「一夜限り男性を恋続けるでしょうか」などという遊女のような歌を詠むはずがない。題詠なので、遊女になったつもりで歌を詠むのだが、それでも、そこには何かの意図があったはずだ。では、真意は何だったのだろうか。
難波江は、以前は都だったが、今は都ではなく、遊郭が建ち並ぶような寂れた所だ。つまり、昔の反映と今の衰亡を表す。難波江の入り江に群生する葦と根が刈り取られた葦とを比較することで、何か大切なものがなくなった状態を示す。そして、「ひとよ」で短い時間が強調される。「澪標」と「身を尽くし」で、「危険があって、命をかける」ことを示す。
そうすると、「昔繁栄していたもの」とは「保元の乱」以前の平和と繁栄の時代を意味する。つまり、皇嘉門院別当は、「身近一夜限りの逢瀬でも一生忘れられない恋をだってあると言いますね。私たちは、一夜どころか、五百年続いた平和と繁栄を享受してきました。そのありがたさを、そのご恩を、たった一夜の『保元の乱』を境に、あなたたちは忘れてしまったのですか。父祖の築いた平和と繁栄のために、危険を顧みず身を尽くしてでも、平和ら守ることが公の立場にいるあなた方の役割なのではありませんか」と、訴えたかったのだ。
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