三橋鷹女の句からその4

         萩こぼれ一日の業わが終へぬ

 この句を読むと、「一日の苦労は一日にて足れり」というキリストの言葉を思い出す。
 人間の業は絶対になくならない。仏教の「業」は、次の三つから成り立つという。
1. 行為をおこす前の意志作用。
2. 身体、言語による行為そのもの。
3. その行為の残存効果。
 そして、この順序で展開するというのだ。単に「行為」(梵語カルマン)という語だけでは表現しきれない。ともあれ、心(意志作用)から業は生じ、その業の結果として私の世界が形成されるのである。
 したがって、自分の業をなくそうなどということは無理だし無意味である。
 例え、認知症になって自分を忘れ果てたとしても、何かをしたいという意志作用はあるし、行為も止むことはない。
 だから、行為の結果も保存される。

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