百人一首についての思い その51
第五十番歌
「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」 藤原義隆
君のためなら命さえ惜しくないと思いましたが、今は君のためにこそ、長生きしたいと思っています。
I thought I would give up my life
to hold you in my arms.
but after a night together,
I find myself wishing
that I could live forever.
『後拾遺集』(696)の詞書きには、「女のもとより帰りてつかはしける」とある。だから、好きな女との逢瀬の後で詠んだ歌だと分かる。
この人は、第四十五番歌の謙徳公の三男で、非常な美男子だったという。だが、この男の運命は過酷なものだった。天然痘に冒され醜い姿になってついには死に至る。なんと、わすが21歳にして亡くなった。
才能豊かな詩人、歌人の夭折は、人々に歌人の夭折を悲しむ気持ちや残された作品に対する愛着を生む。それはあまたの例がある。現代詩関係では中原中也、立原道造、金子みすずなど枚挙にいとまがない。若くて才能がある人が夭逝したら、その才能が大きく花開くことを期待していた人々の希望はそこで終わってしまう。だから、残念だ、無念だ、花開く姿が見たかったと惜しむのである。
夭逝そのものは悲しいことだ。けれども、夭逝した人の才能を惜しんだり、悲しんだりしてくれる関係者がいるのは、まだましだろう。これといった才能もないままで、特にその死を惜しんだり悲しんだりする人がいない若者だって、それなりに多数いるのも事実である。
とにもかくにも、千年以上も前の人と同じことを、私たちは連綿と繰り返し、愛おしみ、嘆き、悔しがっている。和歌を通じて、そのことを知ってくれよと、定家がこの歌を配置したのであれば、定家の奥の深さは限りがない。
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