百人一首についての思い第八番歌
「我が庵は都の辰巳しすかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」 喜撰法師
私の住む庵は、都の東南の方角にあって、そこで私は心静かに暮らしています。それなのに、人々は私のことを、世の中を憂鬱に思って宇治山に離れ住んでいると噂をしています。
I live alone in a simple hut
southeast of the capital,
but people speak of me as one
who fled the sorrows of the world
only to end up on the Hill of Sorrow.
なんだ、この歌は少しも面白くないではないか。それが、私が百人一番歌に触れたまだ幼かった頃の印象だった。そういう正直な感想だった。
しかし、小名木氏によると、「うぢ」とは「氏」の事でもあるという。「氏」とは大伴氏とか物部氏のような、朝廷での官位に基づく同族、または出雲氏とか尾張氏のような゜同じ土地に住む集団のことを指すという。そして、「大化の改新」で公地公民になったので、新たに開墾された新田の主にも「氏」が与えられた。つまり、この喜撰法師の歌は、「氏」を持つことができた人々の喜びを詠ったものだというのだ。そのように解釈すれば、今までつまらないと思っていたこの歌が、急に輝かしく思えてきた。