三橋鷹女の句からその6

巻貝死す数多の夢を巻き残し

 人はみな成長するにつれて多くの夢、目標、希望を抱くようになり、様々な蹉跌や諦観に足を掬われて、夢、目標、希望をなくしてしまう。

 幼い頃にはヒーローになりたいという夢を抱く。僕の憧れはスーパーマンだよ、あるいは憧れのサッカー選手メッシみたいな選手になりたいというような具合に。しかし、成長するにつれ、自分の限界に気が付く。体力、運動能力、学力、知力など様々な事柄について現実の厳しい評価を目の前に突きつけられる。そうすると、エベレストほどの高望みは、自分には実現できそうにないので少しレベルを落とそうと思うようになる。思春期にはそういう悩みと異性への興味が綯い交ぜになり、重くのしかかる。
 
中学、高校、大学と進んで行くにつれ、目の前の志望校突破という目標をひとつずつ果たさなければならない。人間には様々な天賦の才能が与えられている人もいる。文武両道とか才色兼備とか形容される人達がいるものだ。また、生まれながらの才能が乏しく、努力に努力を重ねてもどうにもならない人達がほとんどだということも事実だ。
 
そうこうするうちに、家庭を作ると、家族を養うことにだけ集中するしかなくなってしまい、幼かった頃の夢や希望など全く置き去りにしなければならなくなるのが常態だろう。そしていたずらに馬齢を重ねていくことになる。
 
大して長くもない人生の大部分を馬車馬のように働いて得たものが、小さなマンションの一区画であり、これから先の人生を送るには全く足りない、極僅かな蓄えだけとしたら、一体俺の人生は何だったのだろうと思うのは仕方がないことではある。

 巻き貝は最初から自分の家が一心同体として与えられている。それだけでも巻き貝は巻き貝に過ぎない。
 巻き貝は、巻き残した夢を残念だと思うだろうか。きっとそうは思わないはずだ。何故なら、かの太閤秀吉でさえ、「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」という辞世を残した。すべては夢のように儚いものなのである。
 最後の締めにはこの人にはこの句が相応しい。
「みんな夢雪割草が咲いたのね」
 

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