三橋鷹女 その2
白露や死んでいく日も帯締めて
自らが息を引き取るときに着物を着て帯を締めた状態でいたいという願望がそのまま句に仕上がっている。男はこんなことを考えもしない。病院のお仕着せのパジャマであろうと、お気に入りのシャツであろうと、死んでいくと時の服装などには注意が向かない。それよりも、苦痛にのたうち回りたくないとか、男らしい死に方をしたいとか、女々しいやつだなどと思われないようにしようとか、どちらかと言えばかなり抽象的思考に囚われてしまうだろうと思う。
そういう意味では、この句はやはり女性にしか詠めない句のひとつだろう。
巻貝死す数多の夢を巻き残し
人はみな成長するにつれて多くの夢、目標、希望を抱くようになり、様々な蹉跌や諦観に足を掬われて、夢、目標、希望をなくしてしまう。
幼い頃にはヒーローになりたいという夢を抱く。僕の憧れはスーパーマンだよ、あるいは憧れのサッカー選手メッシみたいな選手になりたいというような具合に。しかし、成長するにつれ、自分の限界に気が付く。体力、運動能力、学力、知力など様々な事柄について現実の厳しい評価を目の前に突きつけられる。そうすると、エベレストほどの高望みは、自分には実現できそうにないので少しレベルを落とそうと思うようになる。思春期にはそういう悩みと異性への興味が綯い交ぜになり、重くのしかかる。
中学、高校、大学と進んで行くにつれ、目の前の志望校突破という目標をひとつずつ果たさなければならない。人間には様々な天賦の才能が与えられている人もいる。文武両道とか才色兼備とか形容される人達がいるものだ。また、生まれながらの才能が乏しく、努力に努力を重ねてもどうにもならない人達がほとんどだということも事実だ。
そうこうするうちに、家庭を作ると、家族を養うことにだけ集中するしかなくなってしまい、幼かった頃の夢や希望など全く置き去りにしなければならなくなるのが常態だろう。そしていたずらに馬齢を重ねていくことになる。
大して長くもない人生の大部分を馬車馬のように働いて得たものが、小さなマンションの一区画であり、これから先の人生を送るには全く足りない、極僅かな蓄えだけとしたら、一体俺の人生は何だったのだろうと思うのは仕方がないことではある。
巻き貝は最初から自分の家が一心同体として与えられている。それだけでも巻き貝は巻き貝に過ぎない。
巻き貝は、巻き残した夢を残念だと思うだろうか。きっとそうは思わないはずだ。何故なら、かの太閤秀吉でさえ、「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」という辞世を残した。すべては夢のように儚いものなのである。
最後の締めにはこの人にはこの句が相応しい。
「みんな夢雪割草が咲いたのね」
亡びゆく国あり大き向日葵咲き
当時の日本軍は、破竹の勢いで大陸に攻め込んでいた。多くの日本人はもろ手を挙げて歓迎し、戦勝気分に酔っていたのだが、鷹女はひとり、不吉な予感を心に抱いていた。
それは、愛する息子陽一が、そろそろ徴兵検査の年限に達し、戦地へ送られる恐れが出てきたことへの、母としてのおののきだったのかもしれない。事実、太平洋戦争がはじまると、息子陽一は応召される。
子を恋へり夏夜獣の如く醒め
子を思う情も、並の女性のそれではない。野獣のごとき母性本能なのである。息子にしても、ここまで偏愛されるのは、鬱陶しいことだったかもしれない。戦争が激化し、鷹女の生活環境にも、困窮の気配が色濃く表れてくる。
帯売ると来て炎天をかなしめり
お嬢様だっただけに、衣装持ちではあっただろう。大事な帯を売って、米一升、野菜一抱えと交換しなければならない。炎天下、農家までわざわざ足を運んだのだが、大事な帯は大して高く売れなかった。さすがの鷹女もしょんぼりしているのだ。そして、空襲。鷹女の住む東京も焼け野原になる。
赤まんま墓累々と焼けのこり
光景が目の前に浮かびあがってくる。幸いなことに一人息子の陽一は、戦地から生きて帰ってきた。鷹女は、以後も歯科医院の奥様として、何不自由のない一生を送った。
老鶯や泪たまれば啼きにけり
老鶯(ろうおう)というのは、年老いた鶯のことではなくて、夏になっても鳴いている鶯のことを言うらしい。夏もまだ啼いている、声の張りをなくした鶯が、泪を溜めて一声啼いた。この女流俳人も、自らのこれからさほど長くもない老い先に感じ入るところがあったのだろうか。
そして、自分と老鶯を比較して、泪のわけを考えたのだろうか。私はこのような思いから泪が眼に溜まるが、あの老鶯はなぜ泪を溜めるのだろうか、などと想像したのだろうか。