百人一首についての思い その54

 第五十三番歌
「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかにひさしきものとかは知る」 
 右大将道綱の母
 嘆きながら一人で寝る夜の明けるまでが、どれだけ長く感じるものか、ご存じでしょうか。ご存じないですよね。

 Someone like you
 may never know
 how long a night can be,
 spent pining for a loved one
 till it breaks at dawn.

 日本三大美人とは、衣通姫、小野小町、そして『蜻蛉日記』の著者であるこの藤原道綱の母を指す。
 夫は藤原兼家といって、従一位にして関白太政大臣という高い地位にあった。だが、夫はほかの女のところに行ってしまうし、夫から愛を十分に得られず、寂しい生活を送りながらも、息子を立派に育て上げた。
 道綱は従五位の最低ランクから始まり、ついには右大将になった。苦労しつつ、辛さに耐えて息子を立派に育て上げた母のお手本として藤原定家はこの人を選んだのだろう。
 当時は「通い婚」といって、男が女の家を訪れるのが習慣であった。子供を残すということが、ということが絶対的に必要なことだったのである。

 美人でありながら、さほど夫に愛されなかったということは、男にとっては堅苦しいとか、息が詰まるとか、口うるさいとか、何らかの点に於いて、夫の気に入らないことがあったのだろう。仕事が終わってくつろぎたいのに、矢継ぎ早に何か聞かれたり、夫が妻に気をつかわなければいけないような状態になったりするのでは、気が休まらない。それだったら、気楽に休める他の女のところに行ったほういいということになる。

 しかし、昔の貴族はそうできたかも知れないが、現代の我々にはとてもそんなことはできない。道綱の母ほどの美人を娶れる男などほとんどいない。 
 また、女だって、うなるほどの資産を持っている大金持ちや、いつも美人に取り囲まれている美男子の妻になるのは至難の業だ。普通の男は、妻に何かを聞かれれば生返事ではなくきちんと答え、口うるさく何か言われても聞いたふりをして相槌を打つ。全く、男は辛いのだ。しかし、堪忍しなければならない。

 さて、藤原道綱の母が息子を立派に育て上げた母親としての評価を得られたのは、この世に生を受けた女としては、とても幸せなことだっただろう。いくら夫に愛されても、いくら世間の評価が高かろうとも、育児に失敗した例は山ほどある。特に、美人の母親としてよく知られた女優や歌手などが、息子を溺愛するあまり、完全に子育てに失敗したと見なされるに至るケースはよくある。

 女の役割は妻としてだけではなく、次世代の育成に大変な重荷を背負っているとも言える。私はたいして出世もしなかったが、母親にはきちんと育ててもらったおかげで、悪い道に進んだり、後ろ指を指されるようなことになったりせずに済んだ。母親の役割はとても大切なのである。
 藤原定家の百人一首の良さは、このようなことを思い出させてくれるところにある。日本人に生まれて良かった。


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