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『和歌史』なぜ千年を越えて続いたか 渡部泰明 角川選書出版 その9

 源俊頼
 
 源俊頼は、五番目の勅撰和歌集『金葉和歌集』の撰者であり、歌論書『俊頼髄脳』を著した人でもある。院政という政治形態が始まる頃の代表的歌人の一人でもある。渡辺教授によれば、この人の特色は、比喩の巧みさにあるとう。彼が撰者の一人であった『金葉集』に入っている自作の歌を見れば、特色が分かるだろう。
 
 山ざくら咲きそめしよりひさかたの雲居に見ゆる滝の白糸 
 金葉集・春・五○
 山桜が咲き始めてから、空に白糸のような滝が現れた。
 
 桜を例えるのに、なんと「滝」を持ち出した。滝の流れを白糸に見立てたのだ。此処では比喩が二重になっている。
 
 山の端に雲の衣を脱ぎ捨ててひとりも月のたちのぼるかな 
 金葉集・秋・一九四
 山の端に雲の衣を脱ぎ捨てて、ひとりで月が空に昇っていく。
 
 嵐をや葉守(はも)りの神も祟るらん月に紅葉のたむけしつれば 
 金葉集・秋・二一七
 嵐に対して葉守りの神も祟るだろう。睦月に紅葉の手向けをしたというので。
 
 ひらりと衣を脱ぎ捨てて身軽になって昇っていく月。「葉守りの神」とは葉に宿る神のことで、特に柏についていうらしい。自分が守ってる葉を散らす嵐に対して、葉守りの神が祟る。なかなか洒脱な詠み方だ。
 
 次に、渡辺教授は風景描写の巧みさを二番目の特色としてあげている。
 
 風吹けば蓮の浮き葉に玉こえてすずしくなりぬひぐらしの声 
 金葉集・夏・一四五
 風が吹くと、浮いた蓮の葉の上を露の玉がころがり越えて、涼しくなったよ、蜩の声の中。
 
 鶉鳴く真野の入り江の浜風に尾花波よる秋の夕暮れ 
 金葉集・秋・二三九
 鶉が鳴いている真野の入り江に吹く浜風で、薄が波のように靡いているよ、この秋の夕暮れ時に。
 
 故郷は散るもみぢ葉にうづもれて軒のしのぶに秋風ぞ吹く 
 新古今集・秋下・五三三
 見捨てられたこの家は散り仕しきる紅葉の葉に埋もれてしまい、軒に生えたしのぶ草に秋風が吹くばかり。
 
 涼しさという皮膚感覚、鶉の鳴き声、吹く風の涼感などありとあらゆる感覚を使って歌を詠んでいる。また、「玉こえて」「波よる」「うづもれて」という動作表現も加わって、風景に生き生きとした立体感が出ている。
 
 そして、第三番目の特色として、渡辺教授は風景や景物を自分のことにしてしまう離れ業を見せていることを挙げている。
 
 さりともと画くまゆずみのいたづらに心細くも老いにけるかな 
 金葉集・雑上・五八六
 いくらなんでもこのままではあるまいと描きつづけた黛も空しいままに、心細く老い果ててしまった。

 この歌は白居易の「新楽府」の「上陽白髪人」を詠んだものである。黛は眉を描く化粧道具である。そして、「心細く」の「細く」を導きだしている。また、無意味な化粧をする女(上陽の人)を表している。
 
 世の中は憂き身にそへる蔭なれや思ひ捨つれど離れざりけり 
 金葉集・雑上・五九五
 世の中はつらいこの身に寄り添った影法師のようなものか。捨てようと思うが離れないのだ。
 
 この歌では、世の中を影法師に例えて、捨てようとしても離れないということを導き出している。
 
 せきもあへぬ涙の川ははやけれど身のうき草は流れざりけり 
 金葉集・雑下・六○九
 堰き止めることもできず、涙の川の流れは速いけれど、我が身の辛さは浮き草のように流れてはくれないのだ。
 
 この歌では、涙の比喩である涙川に例えて、自分を涙川に浮かぶ浮き草に例えている。比喩のうまさはこれで良く理解できたと思うが、さらにここで第四番目の特色として、渡辺教授は源俊頼の歌に見られるリズム・韻律の流麗さを取り上げた。
 
 思ひ草葉ずえにむすぶ白露のたまたま来ては手にもかからず 
 金葉集・恋上・四一六 
 思い草の葉先に老いた白玉の露―たまさかにやってきたあなたは手のなかにとどまることもなく、消え失せた。
 
「たまたま」は「白露」の「玉」に、たまさかに、の意を掛けているし、上句は「たまたま」を導く。「思ひ草」がどんな草なのかは知らないが、「物思いの種」という意味が浮かび上がり、「白露」は自然に涙を思わせる。
 
 うかりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 
 千載集・恋二・七○八
 
 この歌は『百人一首』にも取られている。藤原定家に寄れば、「これは心深く、詞心にまかせて、まなぶともいひつづけがたく、まことに及ぶまじきすがたなり」と評している。比喩の巧みさ、風景描写の巧みさ、風景や景物を自分のことにしてしまう離れ業、リズム・韻律の流麗さという四つの特色を全て兼ねているのがこの歌である。
 
 さて、ここで『俊頼髄脳』は、藤原忠実(ただざね)の命を受けて鳥羽院の皇后になる高陽院泰子(かやのいんたいし)の歌学びのために著された。
大変長くなるが、その一部の現代語訳を次に引用する。
「題を与えられて詠むというような、どういう状況を詠むと決められていないときの歌は、思えば簡単なはずなのだ。
 たとえば春の朝に早くも、と詠もうと思ったら、佐保山に霞の衣を掛けておいて、春の風が吹いてほころぶようにし、峰の梢を隔てて、思いを馳せて心をさまよい出させ、梅のにおいに添えて鶯を誘い、子日の待つに関わらせて、もし好意を寄せている人だったら、千年も長生きしてほしいと思い、若菜を籠にたくさん摘むことで敬愛を示し、残雪が消え失せたことに我が身のはかなさをそえて嘆き、花が咲いたら人の心も落ち着かず、白雪に見間違え、春の雪か登坂他薦に迷い、花を散らすものとして無情な風を恨み、人でもない雨を厭い、芽吹いた柳の糸のような枝をより合わせ」
 
 表現すべき事柄が決まっていなくても、四季折々の風景・景物に言寄せて表現すべき「こころ」を生み出すことができるのだと、俊頼は言う。「春の朝のいつしか」とは、春になった朝に早速ということであるから、立春の日の朝のことである。「佐保山に霞の衣を掛ける」のだという。それは、次の歌のようなものを想起しろということなのだろう。
 
 いつしかと朝(あした)の原にたなびけば霞ぞ春のはじめなりける
 堀河百首・霞・四八・河内
 
 しかし、普通は「朝の霞」といえば、「朝(あした)の原」(奈良県北部にあった)の歌枕が連想される。しかし、俊頼は「佐保山」につなげる。それは、初春の風景として様々な歌枕に思いを及ぼせと導いている。「佐保山」は「サオ」であり、「竿」に通じて、衣を掛けるにつながる。そして、佐保山には佐保姫がいらっしゃるので、女神の衣につながる。
 
 佐保山に霞の衣かけてけりなにをか四方の空はきるらん 
 散木奇歌集・八
 
「きる」は「霧る」と「着る」の掛詞であり、霞の衣の縁語でもある。霞を女神の衣に見立てたので、「春風が吹いてほころばせる」ということにつながる。こうして、言葉・景物が磁石のように結び付き合い、展開してゆき、網の目を構成する。
 
「鶉鳴く」の歌を使って、俊頼がどのように想像力を使って歌を展開していくのかを見てみよう。この歌は、「薄」という題で詠まれた。薄は動物の尻尾のような穂が特徴だ。まず、「真野の入り江」というのを俊頼は思い浮かべた。
 
 真野の浦の淀野継橋心ゆも思へや妹が夢にし見ゆる 
 万葉集・巻四・四九○・吹黄刀自
 
 この真野の浦は、俊頼の時代には近江の琵琶湖沿岸と解されていた。水辺と野原を同時表せる場所である。白い尾花を白波に例えたいと思ったのだろうか。それと、俊頼のもうひとつの狙いは、「寂しい」という言葉を使わずに寂しさを表すことである。
 
 君なくてあれたる宿の浅茅生に鶉鳴くなり秋の夕暮れ 
 後拾遺集・秋上・三○二・源時綱
 枯れ薄は寂しい。夕暮れ時も寂しい。鶉の鳴き声も寂しい。

 そして、渡辺教授は、「真野の入り江」の歌には、次の歌がその背景にあると解している。
 
 草も木も色かはれどもわたつうみの浪の花にぞ秋なかりける
 古今集・秋下・二五○・文室康秀
 
 比喩の巧みさ、風景描写の見事さ、掛詞や縁語などによる言葉の網の目状の広がり、リズム・韻律の流麗など、さまざまな技術もさることながら、豊かな想像力で美しい歌が紡がれていった。
 

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