百人一首に選ばれた人々 その17
第三十一番歌 坂上是則 『古今集』巻六冬歌・三三二
「朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪」
この歌は、下の李白の「静夜思」という漢詩が基になっているという。
静夜思 李白
漢詩 読み下し文
牀前看月光 牀前(しょうぜん)月光を看る
疑是地上霜 疑うらくは是地上の霜かと
擧頭望山月 頭(こうべ)を挙げて山月を望み
低頭思故郷 頭を低(た)れて故郷を思う
坂上是則は、征夷大将軍坂上田村麻呂の子孫である。したがって、武人の血統である。古い時代には武門出身者は、感傷に浸ることを潔しとはしなかった。だが、武人の血統の彼の歌は、百人一番歌の代表的名歌として選ばれた。この歌は、彼が大和国の地方官として任地に赴く途中の吉野で詠んだとされる。
さて、李白は月光を地上の霜と見立てたが、坂上是則は雪の明るさを月光に見立てた。坂上是則は、大和国をよりよくするぞと言う決意と希望を持って任地に赴いたのだ。
都落ちという厳しい現実にしっかりと向き合いながら、この歌を詠んだのだ。壬生忠岑は「どれほど辛くて悲しい憂いがあっても、男ならそれを堪えよ。辛くて悲しい憂いを腹に納めて生きろ」というメッセ―ジを歌に込めた。武門の血統の坂上是則は、「大和国の人々よ、もうすぐ夜が明けぞ。希望を持とう」というメッセ―ジを歌に込めた。
やはり、和歌の奥に秘められたメッセ―ジは心に染みる。よくぞ日本人に生まれたものだ。
第三十二番歌 春道列樹 『古今集』巻五秋歌下・三〇三
「山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり」
この人は有名な歌人というわけではないが、この歌そのものの良さを藤原定家が評価していたのだろう。この歌を元歌として、定家は次の歌を詠んだ。
「木の葉もて風のかけたるしがらみはさてもよどまぬ秋のくれ哉」
『拾遺愚草』1355
さて、春道のこの歌にある「しがらみ」とは、川の流れをせき止める柵のことだそうだ。山の中の川にかけられた柵のように、紅葉がいっぱいにたまっているところがあったという情景を表した。
ところで、「しがらみ」とはいつの世にもある人間関係の「しがらみ」でもある。その場合は、引き留めるもの。まとわりつくもの。邪魔をするもの、という意味である。例としては、「しがらみのない政治をするのが私の理想です」などと使う。
「人間関係の、まるで澱みのようなしがらみも、よく見れば、そのひとつひとつが美しい紅葉じゃないか」ということを詠んだ。煩わしく辛いものに思える人間と人間のしがらみも、ひとつひとつが美しい紅葉なのだと、紅葉を擬人化して詠んだ歌なのだ。
この歌を詠んだ春道列樹はこの情景を見て、澱みのような人間関係のしがらみも、ひとつひとつはこの美しい紅葉のようではないかと気がついたと、小名木さんが言う通りに、僕らはみんな生きている。生きているから悩むんだ。悩んでいるのは俺だけじゃない。みんな同じように悩んでいるのだ。そのような感慨を持って前向きに生きようと思ったことだろう。
しかし、人の世のしがらみはいくつもある。義理や人情などというものに雁字搦めに縛られる場合もあるし、時代遅れの感があっても、先例ということで守らねばならないしきたりなどもある。だから、しがらみを無理に絶つ必要はないし、しがらみに悩む必要もない。自分で受け入れられる範囲で物事を受け入れればいいし、どうして受け入れられない場合には、しがらみと無関係になれる条件は何なのか。どうすればしがらみの影響を最低限に抑えられるのかを考えればいい。