百人一首に選ばれた人々 その25
第四十三番歌 権中納言敦忠 『拾遺集』恋二・七一〇
「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば昔はものを 思はざりけり」
第三十八番歌の右近の項でも触れたが、藤原敦忠は第六十代醍醐天皇の皇女の雅子内親王に恋をした。しかし、身分が違いすぎ、叶わぬ恋であることはすぐに明らかになる。なにしろ、敦忠は美男で音楽の名手であるとはいえ、身分は最下位の従五位下であった。困ってしまった大人たちは、雅子内親王を伊勢神宮の斎宮(いわいのみや)に選んで、都から去らせた。
身分違いの恋はたいていの場合悲劇を招く。しかし、敦忠は恋に打ち込むエネルギーを仕事に注ぎ込んだ。従五位下だった敦忠は、仕事に打ち込みすぐに従四位下に昇進した。また蔵人頭に昇進する。さらに、左近衛権中将に進む。そして、とうとう押しも押されもせぬ権中納言に収まった。仕事に打ち込み過ぎた敦忠は、38歳の若さでこの世を去った。
身分違いの禁断の恋を諦め、己の持つ熱量を全て仕事に向けた男の生き方はとても爽やかだ。でも、このような場合、女性のほうはどうするのだろうか。つまり、身分違いの男に恋した女の場合である。まあ、たぶん自分の思いを表に出すことはなく、静かに耐えてそれなりに自分の幸せを見つけようとするのだろうと予想するが、なにしろ女ではない私には全く分からない。
第四十四番歌 中納言朝忠 『拾遺集』恋一・六七八
「逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし」
男女関係などなければ相手のことや自分のことを恨まずに済むのに、というほどの意味である。反語的な言い回しである。反語的言い回しとしてすぐに思い出すのは次の歌である。
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」 在原業平
業平は桜がないほうがいいといったわけではない。この歌も同じ構造だ。つまり、朝忠は「恋は素晴らしい」と言うことを反語的表現で表したのだ。
さて、この歌は、第四十番歌と第四十一番歌で触れた天徳内裏歌合で詠まれた。番(つがい)になった相手は、藤原元真(もとさね)が詠んだ次の歌である。
「君こふとかつは消えつつふるものをかくてもいける身とや見るらん」 『後拾遺集』807
結果は「ことば清げなり」ということで、朝忠が勝った。この歌合では朝忠は、霞、鶯、桜、藤、暮春、そして恋を二番、合計七番も出詠している。いかに才能があったかという証拠だろう。
しかし、人であるからにはいかに才能があろうと身分が高かろうとやがては老いていくし、病に冒され、死んでいく。私のような才能も金もない、いわば「ないない尽くし」の人間も、朝忠のような才気溢れて高い身分の人間も、無常であるという一点では同じなのだ。
無常に思いたる時、いつも私は「お座敷小唄」を思い出す。
「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし 溶けて流れりゃ みなおなじ」
俗っぽいと笑うわけにはいかない。実に無常の真実を突いた歌詞である。川の流れの中に一滴の水が生まれて死んでいっても、川の水は次々に流れて来て絶えることはない。
個は死に絶えても、新しい命が生まれ、またそれが集団の中に生き続ける。そのような死生観を藤原定家は、この歌を通して訴えたかったのかもしれない。