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百人一首に選ばれた人々 その14

 第二十三番歌 大江千里 『古今集』巻四秋歌上・一九三
「月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど」
 
 この大江千里という人は、たいそうな漢学者であり、博識な人だったらしい。そして、控えめに押さえるべきところは押さえながら、漢詩を題材にして少しだけ自分を表現する生き方をしたという。文屋康秀とは正反対の生き方をしたからこそ、百人一番歌で大江千里の歌が配列されたと、小名木さんは主張する。文屋康秀は、「俺が、俺が」というタイプだったのに比べて、大江千里は「能ある鷹は爪を隠す」というタイプだったのだ。
 さて、この歌は白居易の「燕子楼」という漢詩の「其一」が元歌になっているらしい。
 
 満窻明月満簾霜
 被冷燈殘払臥牀
 燕子樓中霜月夜
 秋來只爲一人長
 
 満窓(まんそう)の明月 満簾(まんれん)の霜
 被冷(ひひ)ややかに 燈(ともしび)残(うす)れて臥牀(がしょう)を払う
 燕子楼(えんしろう)中 霜月(そうげつ)の夜
 秋来(しゅうらい) 只一人の為に長し
 
 燕子楼で暮らしていた国史の愛妓が、「月の美しい秋寒の夜に、残された自分一人のために、こうも秋の夜は長いのか」と詠んだ詩である。この詩を踏まえた上で、大江千里は「我が身一人の秋ではないけれど、月を見るともの悲しくなりますなあ」と詠んだ。
 
 まあ、いずれにしても、人間というものは能があろうとなかろうと、相当に愚劣な生き物であり、「俺が俺がの我を捨てておかげおかげの下で暮らす」(良寛)という心境には到らない。
 
 話は変わるが、支那の孔子の弟子である子罕は、「意毋、必毋、固毋、我毋」という言葉で孔子の人間像を語った。
 孔子という人には、次の四つのことがなかったそうだ。
 意とは、主観だけで憶測する事である。必とは、自分の考えを無理に押し通す事である。固とは一つの考えを無理に押し通す事である。我とは、自分の都合しか考えぬ事ことである。故人の言葉には重みがある。老い先短い身といえども、振る舞いには注意をしなければならない。自戒しよう。


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