西行の足跡 その34

32「めぐり逢はんことの契りぞ頼もしき厳しき山の誓ひ見るにも」 
 山家集下・雑・1370
 弘法大師が師と頼む釈迦にここでお会いになったという仏縁が、いまもそのまま受け継がれていると頼もしく感じた。巡り行道の修行の厳しさは、大師が衆生済度すると誓願なさった捨身行をさなか゜ら見るようである。
 
 この歌の詞書きには、「曼荼羅寺への行道所」へ上ったときの詠とある。
その場所は我拝師山捨身ヶ嶽禅定という所で出釈迦寺の奥の院である。そして、捨身ヶ嶽の山頂付近には高野山の根本大塔に匹敵する塔の跡があるそうだ。我拝師山を隣接する「筆の山」と間違えて次の歌を詠んだ。
 
「筆の山にかき登りても見つるかな苔の下なる岩の気色を」 
 山家集下・雑・1371
 我拝師山に登ってみた。筆の山ともいうだけあって、筆で書くように、掻き登る、7岩にしがみついて登ることになった。するとそこには、大塔の礎石が苔の下に埋まっていて、そのおおきさは大師の慈悲の大きさを語るようだった。
 
 弘法大師への篤い信仰に支えられた西行は、大塔の跡を見つつ、大師の慈悲の深さに思いを馳せた。真言宗行者としての西行の篤い信仰がそこには見える。


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