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ヤスノリ『誰かの散歩マガジン サンポーを読み解く』/都市のラス・メニーナス【第30回】

2020年から「路上観察の現在地を探る」として、いろいろな方をお招きして、その方が見ているものの魅力、また、どうしてそういう視点に至ったかなどを、片手袋研究家の石井公二編集者・都市鑑賞者の磯部祥行がお聞きしてきたトークイベント『都市のラス・メニーナス』主としてYouTubeで配信してきた。「ラス・メニーナス」とは、17世紀にベラスケスによって描かれた、見る人によってさまざまな解釈を生じさせる絵画。街も、人によって、まったく異なる見え方をしているはずだ。

現在、平井オープンボックスを会場として、毎月1回開催中。その第30回が2024年11月17日(日)に、ヤスノリさんをお招きして開催された。

中央がヤスノリさん。左が磯部、右が石井。

ヤスノリさんが散歩をサイトとして始めた理由は「大喜利」。ネット上の大喜利は2000年代から盛んになり、2009年9月には新宿のロフトプラスワンで「大喜利大会Vol.1 大喜利」が開催されており、ヤスノリさんはその第1回の出演者でもある。そんなヤスノリさんは、目に入るあらゆるもの、街中のものからブラウザで見る商品までが「お題」に見えてくるようになる。大喜利とは「見立て」。(赤瀬川原平的に)路上にあるものを何かに見立てるという行為と一致する。

木村祐一さんの「写術」(木村さんの場合は街の写真に「ネタ」をする)にも衝撃を受けた。笑いのコメントもあるのだけれど、1枚の写真に対して「ごねごねごねごね言う」ようなことがいいという。

石井は「路上観察には『笑い』の観点がある。大喜利からの路上観察の流れは確実にある」という。現在は、観察対象を笑うと「ばかにしているのか」などと反論を受けることもあるが、それも路上観察の歴史となっていくはずだ。

さて、「サンポー」の記事は1000近くある。その記事をいくつかに分類して簡潔にまとめていく。もっと詳しい読み解きや、記事内容そのものは、最下部のリンクからYouTubeのアーカイブをご覧ください。

①街の現象、横好きの解釈

「散歩」という言い方は「観察」「偏愛」ではないスタンスがある。

ディズニーの「ファストパス発券機」という遺跡〜ランド編〜ぼっちのazumiさん

無の看板(作:村中貴士さん)
獅子舞お断り看板(作:稲村行真さん)
野良庭散歩(作:末埼鳩さん)
世田谷街灯図鑑(作:王田土人さん)
バス停の椅子 / 次元を下げる技術 / かわいい / 顔に見える / ゴミの擬態 / 国旗の白いところに文字を書く現象 / 残り雪見 / ベランダ / 海外の日本語名店舗 / ワッフル ほか

②個人的な興味からくる移動

散歩は個人的な行動。行動中に刹那的に生じる物語。

あんまり高くない展望台にも登ってみたいサトーカンナさん

大正区の渡し船ぜんぶ乗る(作:なべとびすこさん)
高校時代の通学路を他人に紹介する(作:山川悠さん)
車窓から見えるデカい建物を確認しに行く(作:城戸さん)
ジャンクションを見に行く / 戸塚のバスを眺める / 舞浜駅北口で降りる / 梅田で無人スポット探す / 競馬の朝練を見に行く ほか

③生活は散歩

AからBへスッといかない、ままならないものを散歩と定義するならば、生活自体も散歩ではないだろうか。

ローカルエアロビに参加してみた寺内真実さん

・父のiPhoneを小田原まで取りにいくまでの10日間
(作:脳乃あメさん)
・ロイヤルホストに初めて行く(作:公園飯さん)
ジョギングする / 自転車を引き取りに行く /
駅からちょっと遠いレンタルスペースを借りた ほか

④あたらしい散歩

散歩にもいろいろな「方法」がある。「技術」がある。路上観察は、いまは写真だけれども、今和次郎はスケッチだし、それ以前も絵、あるいは意識されていないけれど言葉だったかもしれない。

行為があってアウトプットする。アウトプットする手段はたくさんある。あるいはアウトプットすらしなくていい。「写真を撮るから不純」「承認欲求」のような評価(?)も、今後、考えていくべきことだ。

自由律俳句散歩パスカさん

暗闇都市探訪(作:稲村行真さん)
行き止まり散歩(作:ソトノミストさん)
街の音で楽曲を作る(作:ISLDさん)
好きな街をAIで混ぜる(作:FTDさん)
口コミ0件神社めぐり(作:ぼっちのazumiさん)

⑤街で遊ぶ

散歩が遊びになる。これも路上観察の一断面だ。

大喜利散歩都さん

散歩王カードゲーム / 街で見つけたものをモンスター化して戦わせる / 街に寿司を置いてみる / 噴水にアフレコする ほか

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「誰かの散歩」の記事だけで1000近く。それだけ多くのテーマに接してきたヤスノリさんだけあって、さまざまなアプローチを考察している。ゆるく分類しているけれども、たいていの記事は複数のアプローチを内包している。

特に今回、「大喜利」という観点が出てきた。過去の「都市のラス・メニーナス」ではなかったと思う。大喜利から入って赤瀬川原平を知る人がいるように、逆もいる。アプローチは違うけれど、同じ、あるいは似たようなことをしている。そういう同時代性をもまた見据えていきたい。

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