vol.2 Y字路のふしぎ(前編)
興味があるテーマを週にひとつ、調べてnoteにまとめてみています。
2回目のテーマはわたしが心惹かれてやまない「Y字路」について。
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わたしは目的のない散歩が好きだ。ぶらりぶらりと、気持ちが赴くままに歩く。散歩好きの父に連れられて幼い頃からよく歩かされたが、歩く速度が早い父に付いていくのに必死で、当時のわたしにとって散歩は苦行だった。
そんなわたしが散歩を好きになったのは、初めて付き合った彼氏の影響だ。一緒にいられるだけで幸せというお花畑状態だったので、ゆっくりと並んで歩く時間が好きだった。地理が好きで、道中に変な道や変わったものを見つけると、すぐに意識がそっちにいってしまうので、自然とわたしもヘンテコなものを見つけるのが得意になった。剥がれて意味不明な文字の看板や、変な形の階段、トマソンなど、気に留めずに過ぎていってしまうような小さな違和感に無性に心惹かれ、散歩の面白さが分かるようになった。
なかでもわたしの散歩人生における一番の衝撃は、Y字路との出会いである。建物や看板から線対称(非線対称の特殊タイプも存在する)に、両側から続いていくY字の道。正直初めて出会ったのがいつだったのかも覚えていないが、いつの間にかこのY字路に言いようもない静かな興奮を感じてきた。
Y字路の魅力にハマっている人は意外といる。Neverでもいくつかまとめられているし、ブログも結構ある。著名なところでいえば、芸術家の横尾忠則。彼が15年以上描き続けてきたY字路は、横尾芸術の近年来の重要なモチーフのひとつであり、代表作でもある。
あとは、おなじみのタモリ。彼の冠番組ブラタモリでも、Y字路について考察する回があった。
コピーライターの糸井重里は、そんな二人とともにほぼ日で「Y字路談義。」というY字路についてあれこれ語る連載をしていた。(この3人と嗜好がかぶるのはとても光栄なことだ。)
日本には他にも不思議な地形が数多く存在するが、Y字路はなぜできたのか、どんな意図をもっているのか、わたしたちが惹かれるのはどうしてなのか。
前置きが長くなったが、今回はまず、今の日本におけるY字路とは何ぞや、というところを地形の観点からY字路について見ていこうと思う。
Y字路とは?
そもそもY字路とは、三叉路(三叉路)と呼ばれる3本の道路が集まる交差点のなかで、Yの字のような形で道路が集まるものを指す。
他には、丁やTの字のような形で道路が集まるものを指す丁字路(現代においてはT字路も一般的になった)なんかもある。
実際、Y字路の明確な定義はなされていない。人によっては角度が45°以下だとか、左右の道が同等の太さ・存在感じゃないとY字路と認めないとか、それぞれいろんな持論を持っているのだが、わたしは左右に道があってY字に分かれているものは、全てY字路としたいと思う。
Y字路は、この角地が鋭角であればあるほど建築物は建てづらくなり、一般的に利用価値は低いとされている。わたしがこれまでに見たことのあるY字路も、空地や物置になっていたりするものが多い。(あと交番は結構多い)
では、Y字路は今日本においてどんなものとして捉えられているのか。
Y字路と都市の発展
地元・長野にいたころから、たまにY字路を発見することはあったが、東京に出てきてからより見つける回数が増えた。それはわたしのY字路センサーの感覚が上がったからかもしれないが、どうやら事実東京にはY字路が多いらしい。坂道が多いことがその一つの原因のようだ。
東京で誰でも知っているY字路といえば、渋谷にあるあの109ビル。あえてY字路という認識をしていない人が多いかもしれないが、実は渋谷はY字路の宝庫なのだ。駅前の巨大スクリーンも、OIOIも、みんなY字路の真ん中にそびえたっている。
渋谷についてすこし調べてみると、渋谷駅は名前のとおり、谷底にあり東西南北を丘や台地が囲んでいて、大小の川も合流を繰り返し流れ込む。地形は複雑で、まっすぐな道路がもともと少ない。街のほとんどが坂道で、低い方に向かって下っているので交差するところでY字路になる。
日経スタイルの記事によると、大手商業資本がこの街に乗り込んだ時に目を付けたのが、使い勝手が悪く、普通なら避けるこのY字の角地だったという。もともと戦後の闇市が行われていた例のY字路には、1979年に東急グループがファッションビル「109」を開店。丸井も別のY字路に店舗を建設。玄関前は若者の出会いの場所になり、「デルタ(三角)」の隠語で呼ばれたという。
今多くの人であふれる渋谷駅前のスクランブル交差点も、全ての坂道が合流する谷底である。渋谷の街にこれだけ人が集まるのも、坂道だらけの地形とY字路という街路構造によるものなのかもしれない。
地域におけるY字路
また、以前放送されていた、ブラタモリの「豊洲」の回にもY字路に関するエピソードがあった。
より狭い、地域のなかのY字路の話である。
豊洲の駅前の路地を抜けると、豊洲四丁目第二公園・都営住宅にぶつかるが、道が真っ直ぐでなく、よく見ると一角がY字型の道路になっていた。
豊洲で生まれ育って69年の商店街のリーダーによると、真っ直ぐ道路を通さずあえてY字にしたのは、土地を持つ商店街の人たちが、所有地が道路に接する部分を(正面と側面も)増やして商売をしやすいようにしたからだそう。
つまり、通常だと店舗の入口がある正面からしかお客が入らないが、Y字路にすることによって側面からも人の出入りができる。その角地に人が集まり、正面からも側面からもお客が入れば商売的にもGOODである。
思えば、わたしの地元・長野市にあるシンカイ金物店もそうだ。善光寺から坂を下っていくと突如あらわれるY字路と、緑色のトタンの建物がそれである。
古くから立っている金物店をリノベーションし、今では全国の雑貨や商品を扱いつつ、近所の爺ちゃん婆ちゃんや学生をはじめ、東京のあらゆる人たちが繋がることのできる「場」として、様々な試みを行っている。
わたしにとって、大好きなY字路のひとつだ。
こんなふうに、正面からも側面からも、人が店に入ることができる。もはや、どっちが正面かもわからないのだが。両面ガラスの引き戸であることも手伝って、数ヶ月に一度に開催されるマーケットのときには、Y字路の左右の道にも人が溢れてしまうほどの盛況ぶりだ。
このY字路に立つシンカイ金物店がまだほんものの金物店だったころから、地域に暮らす人々がここに自然と集まったという。今でもわたしが寄るたびに、当時まだ若かったおじいちゃんおばあちゃんたちが、散歩がてらすっかり生まれ変わったシンカイに集ったりするのを、よく見かける。
そして若者たちと交流したり、手土産を置いて行ったり、好きなだけいて好きなように帰っていく。そんな昔からの地域の人々の集いの「場」として機能していたこのY字路が、今若者たちがその機能を存分に使って新しい試みをしている。
なるほど、そうか。
効率だけを求める街づくりなら、たしかにできるはずのない、あってもしょうがないY字路。土地としての利用価値も低い。でもだからこそ、渋谷の109や丸井にせよ、豊洲にせよ、シンカイにせよあえてそこに着目し、今はもう使われていないちょっと不思議な角地を、「人が集まる場所」として有効活用できることを証明した。Y字路は、その街や地域にとって「街(町)おこし」の拠点としての可能性を大いに秘めているのだ。
他の地方のY字路はいったいどうなのだろう。全国の事例をもっと集めてみたいと思った。ちゃんと自分の足と目で。
次回は、もう少し抽象的に、Y字路が持つ「居心地の悪い気持ち良さ」の原因や、なぜ私たちはこうも惹かれるのかという部分について考えたいと思う。本当はこっちが書きたかったなあ。
あー、まとめるの難しい。だいたい収束不可能になって頭を抱えることになるので、早め早めに準備することが大切だと痛感する今日この頃である。来週も頑張ります。
P.S. 実家の近所に「三角公園」って呼ばれている公園があって、小さい頃はどこが三角なんだろう…って不思議だったけど、あれってY字路の中心に立つ公園だったからなんだ、とついこの間気づいた。だいぶすっきりした。
おしまい。
2018.12.24