2024/11/18(月) 私は、「赤塚」駅を間違えた。 たった2文字の間違いだった。 〜 ここからは、あまりにもぶっ飛びすぎてる女の物語が始まる 〜 なんと、練馬区に住んでるはずの友達の家が、茨城県にあったのだ。不思議な話である。 それは、12月も近づく真冬の夜だった。 往復で4時間も費やし、4000円を費やした。 賞味期限は、一日しか持たないプリン🍮2つ抱えて、友達が好きな画家のシールもつけて、 着いたら、夕飯後に一緒に食べよう🎶なんて、気分ルンルンだったの
「美人」「美女」という名詞は、あくまでも何かの肩書きに付随するもの、付属品扱いであり、決して、その名詞句だけが主役を晴れるほどの効力を持っていないということを感じる。 メディアの目線から見るなら、心理的なインパクトを与えるために、意図的に印象操作の一貫として生み出したものにすぎないのではと思う。 商用主義に偏った美の価値基準に扇動されて、流行という名のもとに我を見失い、そこに照準を合わせているがために苦しんでいる人は沢山いる。 たしかに、古代エジプト時代から黄金比は存在
今日も一日、健康で生きられて、美味しいご飯が食べれて、好きな人と会話できて、 好きな髪型、メイク、ファッションが楽しめて、 お洒落を楽しむ心の余裕があって、 心から楽しいと思える仕事ができて、誰かを喜ばせたり、誰かを笑顔にすることができて、 好きな人と愛のコミュニケーションが取れて、 温もりの中で幸せを感じる日々があったら もうそれで十分に幸せなんじゃないの? 大事な思考、時間、お金を誰かに操作されて、 知らぬ間に奪われているのなら、 それって自分の人生を生きてい
はじめまして、白桃と申します。 いきなりのタイトルが「美人論」って(笑) 私は昔から「美人」という言葉が好きなのだ。 美しい人と書いて「美人」 なんて美しい響きなんだろうか。 大人になるにつれて気づいたことがある。 それは、自分は特別にずば抜けて美人ではない。 そして、生まれ持った美貌という才能があるというわけでもなく、後天的に努力をして垢抜けた方の美人なのである。 そう、「美人」は作れる時代なのだ。 しっかりとお金をかけて、トレンドを掴んで、知識や技術さえ