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ヌーソロジーとヌースとノス

ヌーソロジーとノウスとノス。関係ないですが、常体でなく敬体で統一したい気がします。


アニマンダラと交替化

【アニマンダラ IN ヌース#05】「波紋時間と交替化」~レプティリアンは鳥意識に目覚めるか~

2024/09/21に配信されたヌーソロジーサロンのライブ動画(アーカイブ)を視聴しました。
生物進化と意識進化ということ、ヌーソロジーでいう交替化ということなどについて興味深い内容でした。

オコツト情報では「恐竜など存在していなかった。」ということが言われていますが、「恐竜が絶滅した原因」というようなことも言われていて、そういった真意についても解説されています。

化石の発見というものは、医学的な発見だとか、そういうものとも似ているように思います。

ヌーソロジー研究所

ヌーソロジーサロンに登録していない方でも、天海さんのヌーソロジー研究所の動画を視聴することができます。

アニマンダラのYoutubeチャンネル

アニマンダラのチャンネルもあります。

交替化

ヌーソロジーでは交替化ということが言われています。6500年周期、6500×4=26000年周期、「260」というサイクルについて説明されています。

260日周期で有名なものとしてマヤ暦のツォルキンがあります。

「自己と他者の間には13,000年のタイムラグある」ということについて

13000年=6500年×2。
自己の空間と他者の空間は全く別ということです。「死ぬのはいつも他人」。
主観的空間と客観的空間の結び。
主観的空間(自己)が素粒子であるならば、客観的空間(他者)は物質とか生物とか、そういう感じでしょうか。
私たちは自分が人間だと思っていますが、人間の肉体を生み出している存在ではないのです。私たちは塵一つも生み出すことはできないのです。
わたし≠人間の肉体。

ひふみ神示 第二十巻 んめの巻(ウメの巻)
第四帖
この神示 食物(くいもの)に仕様とて出て来る者 段々にあるなれど、皆あて外れて了ふぞ、アテ外れて神の目的成るぞ、役員殿ブチョウホウない様に気つけて呉れよ、まつり結構。神が預けてあるものは、あづかった人民よきに取りはからへよ、大き小さいの区別ないぞ、塵一本でも神のものざと申してあろが、塵一本動かすに一々神の心聞いてやって居るとは云はさんぞ、預けるには預けるだけの因縁あるのざぞ、預かった人民よきにせよ、奥山 何処へ移ってもよいと申してあろがな、神の道 弥栄々々。十月十三日、ひつ九の神。

https://hifumi.tomosu.link/all.html

黒鉄の巻の以下の文章も大事だと思いました。この帖の前後の内容もつながっています。「・」と「○」(参照サイトでは記号が外字データのため、置き換えています)ということがひふみ神示ではよく言われていますが、これはヌーソロジーでいうノウスとノス、奥行きと幅、というようなことに対応しているでしょう。ちなみに、「黒鉄」の「鉄」というのはヌーソロジーではひとつのキーワードにもなっています。

ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻(クロガネの巻)
第三十四帖
祈りは弥栄であり、限りない生活であるぞ。生命のイキであるぞ。祈りから総てのもの生れるぞ。誠の喜びの祈りからは・が生命し、かげの祈りからは○が生命するぞ。人祈れば神祈り、人為せば神なる道理ぢゃ。禁慾は神の御旨でないぞ。慾を浄化して、生めよ。産めよ。今の人民、慾の聖化を忘れて御座るぞ。慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。慾を導けよ。自分だけならば五尺の身体、五十年の生命であるが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神にとけ入ったならば、無限大の身体、無限の生命となるぞ。マコトの嬉し嬉しのよろこびとなるのであるぞ。(旧九月八日)

https://hifumi.tomosu.link/all.html

変換と返還

草の葉一枚でも神のもの。ヌースの生成によってもたらされたものです。ヌーソロジーの「変換」と「返還」ということにつながります。

第二十四帖 (六六)
一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になるとき いよいよ近づいたぞ。秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。七月の三十日、ひつくのか三。

https://hifumi.tomosu.link/all.html

返還要請、という言い方もされています。


ヌースとノス

⚫︎西田に見るヌース(青)とノス(赤)

『場所・私と汝』。

NOOS(ヌース)とは能動的自己の意識の流れのことであり、NOS(ノス)とは受動的自己の意識の流れのことであるといいます。

存在論の目的をハイデガーっぽくいうなら次のような感じだろうか。
「存在するものを存在するものとして存在へと向けて投企すること」
実にややこしい言い方だが、早い話、自然世界の生成のラインに自己自身を同化させて、この世界に物質的自然となって現れろ!!——ということだ。

https://x.com/kohsen/status/1710113256101327000

自然世界の生成のライン=ヌース。

「他者存在とはヌースの総体の影。自己存在とはノスの総体。」
スピリチュアル?で言われている「引き寄せの法則」というのは、人間の意識を変えることによって他者との出会いの内容が変わるというような使われ方をしているように思いますが、実際のところは「他者との出会いによって人間の意識が変わる」というような順序になっているのだと思います。その意味で、引き寄せの法則の主体は人間ではなくて無意識、変換人や「人間の反対」ということになるでしょう。つまり、「私が引き寄せている」ということでは決してなく、「あなたが引き寄せている」ということなのです。(しかしながら、ヌーソロジーでは自己と他者、前と後ろといったことが文脈によって違ってくるので注意が必要です。)

ハイデガー

ヌースは「呼びかけの声」であり、「良心」であると言えます。

人間の思形はヌース側で、人間の感性はノス側だと言います。

風と水

Raimuさんのサイトによると、これは風と水ということを意味しているようです。


余談

用事があるので、いったんここまでで完成とします。
私事ですが、車が故障してしまったのです。
近所の広いスーパーの駐車場の端というタイミングで動かなくなったのは、不幸中の幸い、大幸いという感じです。レッカー車で運びやすかったです。
原因はシフトレバーの部品の劣化のようです。

自分自身はまだ若いのもあって、10年くらい全く医者のお世話になっていませんでしたが、車とかは故障することがしばしばあります。
いずれは自分自身の肉体も故障していくことを考えると、生き方や死に方ということを考えさせられます。
物質としてということなので、これは位置の変換に対して、位置の転換ということの視点にはなりますが、ヌースを反映しているようにも思います。
詳しくは話せませんが、私がもし物に対する思いやりが無ければ、もっと遠い場所で故障していたという状況でした。
物に対する心、良心という感じですね。


物質とはノスから見たヌース

ノスとヌースと物質と。自己他者モノという感じ?

人間の内面の意識はノスであり、絶えず外延が先手。

等化と中和

等化の流れがヌース。中和の流れがノス。

持続と延長

モノの内とモノの外。

エネルギー

⚫︎エネルギーの起源は精神にある

エネルギーの起源は精神にあります。

⚫︎エネルギーと意識

エネルギーとはハミルトニアンであり、認識のことである、ということが言われています。ハミルトニアンは人間の外面と内面の両側面を統合したエネルギーであると考えられます。

⚫︎E=mc^2が意味すること

「ヌーソロジーの観点からは、エネルギーは内面と外面の架け橋となる存在の力として再解釈できる」ということが言われています。

⚫︎NCジェネレーターの発想は、通常の技術とは根本から違うもの

風力や水力のエネルギーは自然のエネルギーでありヌースであると考えられますが、NCジェネレーターもまた「ヌースのエネルギー」と言うことができるのかもしれません。

ノスタルジーとノソロジー

番外編として、ノスに関するメモを記しておきます。

ヌーソロジーとノスタルジー

今生きている人は100年後、1000年後には地球上にいない。

ヌーソロジーとノソロジー

Noosologyと綴りが非常によく似ている「Nosology」という言葉があります。「病理学」という意味らしいです。ちょうどNoosとNosのような感じですが、意味合い的にも対応しているように感じます。



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