NOOSOLOGY/ヌーソロジーまとめ_Ver.20241107
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ヌーソロジーは「無断転載を命ず」
無断転載を命ず
NOOSOLOGY.COMの記事によれば、ヌーソロジーの展開方針は「無断転載を禁ず」ではなく「無断転載を命ず」だと言われています。
半田さんがネットで発信されている情報には許可の承諾は不要
転載とは
転載のルール
ウィキペディアによると、転載する際には以下の項目を守る必要があります。
・転載を許可されている著作物のみを転載する
・オリジナルの内容を改変しない
・転載元を明示する
・再転載をしない
再転載をしないというのは、一次情報を転載するということです。例えば、図表をダウンロードして使う場合は、誰かが既に転載しているものをダウンロードするのでなく、半田さんが発信しているサイト等から直接ダウンロードして使用するのが推奨されるということです。
ヌーソロジーと表相(表象)
表相
表相は、ひとつのものの、見えのこと。
表相は表面により生まれる位相。
電子とは人の意識の定質で、表相を付与している力。
表相は不確定性原理かな。位置と速さの差異の本質。
エイチ・バー。プランク定数割る2π。単位はジュール秒と言います。
表相は世界を表象する次元。
表相は始まりであり終わりです。
表相は次元においてミクロとマクロ。
表相は自他をとりもつ話題かな。
表相はメビウスの輪と関係が。
表化とは発露を作る元止揚。
表相と位置の交差がうまれると、主客分離が解体される――。
反転は、あなたとわたし、そしてモノ――前と後ろと奥行きと幅。
目ではなく、心でないと視えないよ――。
心象にすべての次元を見る知性――。
表相は廻(めぐ)る三球(みたま)の軌跡かな。
表象
物質の表象界の外を観る――。
表象に囚われなくていいけれど、意味の力はここにしかない――。
バシャールが感情(emotion)は「E-motion」であり「Energy-Motion」、つまり「エネルギーを動かすもの」である、ということを解説していましたが、そういうことだったんですね。
オコツトも同様のことを言っています。
表象を受ける側から生む側へ。
ひふみ神示でも、表象に関して記載されています。
表象は色とりどりの眼鏡たち。
表象、つまり物質世界は映画『マトリックス』における仮想現実ということもできます。マトリックスとザイオン、ネオとエージェント・スミスといった構造については『奥行きの子供たち』のp.256で述べられています。
ヌーソロジーとルネ・マグリット
ヌーソロジーを通じて、科学だけでなく芸術にも触れ合えるというのは素晴らしいことだと思います。
人間の条件
人間の条件。内部は主観世界で、外部は客観世界です。その光景(知覚正面)が絵画(三次元平面?)のように知覚されるか、外部の三次元空間のように言葉で概念化されるか。大森荘蔵の「面体分岐」もまた同様の意味があるようです。
イメージの裏切り
"これはパイプではない"。どういうことでしょうか。これはパイプの絵であって、パイプではないということでしょうか。イメージの裏切りとは、何を裏切っているのでしょうか。
そうです。パイプではないのです。三次元的な物というのは、実際の知覚ではなく、言語による概念というわけです。平面的(三次元平面的)な絵画としての見え方で言えば、それは実際的な知覚であると言えましょう。パイプだと思わせておいて、実際のところ、パイプという3次元的な物は、時間をかけて、角度を変えるなどして見なければ認識できないのです。
イメージは裏切っています。実際は、三次元空間(4次元時空)というものは知覚できないのです。表象であり、幻なのです。実際は4次元空間であり、自己の記憶や持続といった、ハートや思い出といった、高次の、スピリチュアルな、あるいは霊的な構造によって成立しています。
ニュアンスが面白いですが、「イメージや心を裏切った物が、対象としてのパイプである」と言うこともできますし、「対象として、単なる物として見ていたパイプが、実は自己自身の精神や霊性となるものだった――」と言う意味では「裏切り」ということもできるかもしれません。
複製禁止
他者の眼差しは鏡のように働いています。
複製禁止というのは、意識の位置である垂質次元(鏡の外側の位置)を、垂子次元の像(自分という個体)に落としてしまっている、ということに対する問題提起と言えます。
ヌーソロジーでいうと、「観察はひとつ上の次元から行われる」ということですね。3次元である鏡の世界は、3次元の中からは知覚できないということです。
肉体から見ているという見方は、ヌーソロジーで言われる人間型ゲシュタルトということであり、スマルの膜ということが言えます。
心や知覚というものは、そういう次元には無いということですね。
文脈によって見方や意味が変わるのもヌーソロジーの醍醐味です。
この場合、複製禁止というのは、意識の位置である垂質次元(鏡の外側の位置)に、垂子次元の像(自分という個体)を複製してしまっている、ということに対する問題提起になります。
例えば、スピリチュアルでいうと、「アセンションしたら私の体が霊的なライトボディになるのだわ」というようなことに対する問題提起という感じです。体というのは物質的な、表象的なものですから、「霊」とは別物です。あくまでも表象されたもの、表現されたものなのですから、受動的なものに属しています。
量子力学に対応させることもできますね。ヌースコンストラクション、通称NCに乗り込みましょう。
偽りの鏡
偽りの鏡とは、何を偽っているのでしょうか。「偽」という字は「人の為」と書く、そういったことを言う詩人もいました。
自分の目というものは見えません。他者の目というものは見えます。自分の視野面において、他者の目というのは点のように見えます。自己の視野面(知覚正面)と他者の目(点)を互いに結ぶと、マカバというカタチが見えてきます。
エーテル核としての太陽は光を食するといいます。物はそこから生まれてくる、と言われていますが、それはマカバ(キアスム)という電磁場から物が生まれてくるということでしょう。
恋人たち(Les Amants)
"人がペルソナを捨てたとき、恋人たちの共同体が現れる"。なぜ顔を覆っているのでしょうか。
自分の顔は、自分には見えません。ヌーソロジーでは顔は「後ろの空間」ということが言われてますね。
自分の心(知覚)というものは、顔のある「後ろ」ではなく、「前」ということになります。まさに、日本語でいう「お前」ですね。
この「前」というのは、「自分が見る前」というわけでなく、「非局所的な空間」から来(きた)る「前」ということです。つまり、主体は「自分」ではなく、知覚正面としての「地球」ということになります。表相とも言いますね。もはやそこにおいては見るものと見られるものが一致してますから、これを「主客一致」と言います。反対に「自分が見る前」といったときは「主客分離」ということです。
互いに、主体の位置が前にあるというか、思いやりや愛情があるというか、そういう感じがします。そのとき、もはや恋人たちは、彼ら自身の肉体としてでなく、心魂あるいは霊といったレベルにあるということが言えるでしょう。だから、顔を覆っているのです。ある意味、死んでいる(心魂あるいは霊的に生きている)とも言えます。
観念(The Idea)
東京富士美術館さんというサイトで公開されています。
地球ということですね。主体の位置がリンゴになっていますので、位置の変換ということのように見えます。
「木の実と鳥、見つめる鳥」という、ウパニシャッドの逸話が思い出されます。
ヌーソロジーとAdS/CFT対応
量子重力に関するAdSと、リーマン面に関するCFTを対応させるということです。リーマン面とは『人類が神を見る日 アドバンスト・エディション』でしきりに登場していたアレですね。
あたかもヌーソロジーの言っていたことに、現代物理学が追い付いたかのようです。
●AdS/CFT対応とNC
半田さんが執拗に言われている、自己視点とか他者視点ということにもつながっているようですね。
球面アート(『Flatball 2019 No.01 (2019) 』)
鮫島大輔さんの作品がヌーソロジーの参考になります。
https://x.com/samejimadaisuke/status/1188405800663801856
球面アートで表現されている空間(次元)は、ヌーソロジーでいうとAdS空間というものに対応していると言われています。
スマルの核質膜ということなんですね。
マッハの自画像と見え方は似ているような気もしました。
違いは何かと言えば、球面アートでは「球面化」しているということでしょうか。球面(2次元球面であって、3次元球面ではない)とか球体(3次元球体)というのは、SO(3)とか言われているやつですね。
ヌーソロジーと人格(仮面)
パーソナリティ=ペルソナ(英語の綴り的に似ています)。
従来の「自分」と新生する「自分なき自分」。この二つの人格を併せ持つことが必要になると言われています。
別人……どういうことでしょうか。これまでの「後ろの空間」としての自分に対して、人間の外面という「前の空間」が開かれたとき、そこには新たな位置をもつ主体とともに、ハイヤーセルフとも呼べるような新たな人格が芽生えてくるということでしょうか。
人格や仮面といった表象も、意識進化の母胎と言える――。
ヌーソロジーと意味
「無核質、核質、反核質」は「物、言葉、意味」
無核質、核質、反核質という力は、物、言葉、意味、ということを表しているようです。
幾何学に対応しているというのは興味深いですね。
ヌーソロジーとひふみ神示(日月神示)
マルチョン
マルチョンは4次元軸の奥行きか。
マルチョンは位置の等化と呼ばれてる。
円心で反転をしているのです。
横と縦
横と縦、幅と奥行き、単位円。
実軸・虚軸、複素2次元。
縦が喜び、横も喜び。縦は表で横は裏。表裏合わせて丸十字かな。
丸十字、永遠力を表して妙性質はオイラーの式。
太陽、地球、月
物質を反転させて、エーテルへ。
太陽と月と地球の子供たち。
’(参考)太陽と月と地球の自転・回転。
数霊と形霊と音霊と言霊
音霊が数と形に映されて生じるものが言霊という。
世の中の順序の霊が数霊で、動き出る音、それが言霊。
ものにある色は色霊、十人十色。
ウシトラコンジン様
「ウシトラコンジン様を先づ理解せよ。どんなことでも叶へてやるぞ。」
とあります。
それ、ヌーソロジーならできますよ。
虚軸への反転方向。
45度の交差は90度「反転」を意味します。
幅と奥行きの交替化です。
時空と複素空間、太陽とシリウスが支え合っています。
「存在を45度回転させること。」とは。
時間と空間の直交性(90度)が対向性(180度の反転性)であり、虚軸方向へと出る方向は斜め45度。
時間と空間の直交座標系では、光速度の位置(光円錐)。光は1光年を1年で進むので、その意味で比率が1:1という感じですね。
ウシトラコンジンは、十二支の時刻の向きでいう丑・寅、つまり45度の方角にあたります。東北ともいいますね。
東西南北を空間と時間の直交と対応させるならば、ウシトラコンジン様は光速度の位置であり、虚軸への反転方向となります。この4次元の軸は太陽やシリウス、時空や複素空間という観点から、光として、知覚として、ヌーソロジーで言われる「人間の外面」として、理解することができるでしょう。
瞬間場。位置の等換。表相ですね。
日本神話
イザナギとかイザナミという話は『人類が神を見る日』などの本に述べられていますが、レクチャーDVDなどでは他にもいろいろな解説をされています。
ヒルコは人間のことだといいます。
ヤマタノオロチは時空のことだといいます。
タカミムスビとカミムスビは、物質として現れる内の結びと、再び内に向かう方向性として心を作る外の結びのことだといいます。
"別天津神(ことあまつかみ)は、『古事記』において、天地開闢の時にあらわれた五柱の神々である。"(ウィキペディア)
産霊(むすひ)とは「あなた」と「わたし」のことでした。
自己側がアマノトコタチ、他者側がクニノトコタチ。生み成る力。
ミスマルの結びを反復させるもの、その名はアメノミナカヌシかな。
ドゥルーズとガタリの語る哲学が、日本神話に通じてるのか――。
創造は人間からしか起こらない――。
ダイジョウシン、北極星と鉄の神。アメノミナカのヌシのことかな。
ヌーソロジーとスサノオとヤマタノオロチ
今、なぜ、スサノオなのか
なぜスサノオなのでしょうか。スサノオはヤマタノオロチを退治したことで有名です。
出雲ヌースフェスには参加できないので、自主課題としてまとめておきます。
ヤマタノオロチとは時空のことです。あるいは、最新の半田さんの表現でいうと時空ではなくてAdS空間といったほうがいいのかもしれません。
十種の神宝
ヤツカノツルギとありましたが、八握剣(やつかのつるぎ)とは十種の神宝のひとつです。
トツカが二組でヤツカと言われてました。
いろいろな呼び名がありますが、ヌーソロジーでみると意味がよくわかりますね。
ヤマタとヤツカ、同じ8でも違う意味。
人という字は、個人的にはトゲのような形に見えます。ハバというのはヘビという言葉と同じような由来らしいですね。
トツカというのは十字のツカ、ということであれば、それはモロに、ヌーソロジーで言われる複素平面のことになるでしょう。虚軸と実軸の十字です。これを自己他者で組み合わせてヤツカになるという感じでしょうか。
十種の神宝では蛇比礼(おろちのひれ)というように、ヤマタノオロチでさえ神の宝として組み込まれている節がありますね。これは他者視線や時空として、個体としての各々を包み込むという意味でのヒレ、ということでしょう。物としては必要ということです。
いっぽうで、十種の神宝では八握剣(やつかのつるぎ)というのもあり、こちらは位置の等換のように、受動的でなく能動的に時空に参入する状態であると思われます。ハバを切って、奥行きに参入するということですね。
日本神話だと思っていたら素粒子物理学や幾何学だった――逆に言えば、素粒子物理学や幾何学、ヌーソロジーは日本神話のように楽しめるのです。
ヘキサチューブル
⚫︎ヘキサチューブルの数学的構造
ヘキサチューブルとSL(2,C)
3次元球面
3次元球面と3次元双曲面
3次元球面は2つの2次元球面で描像される
その他・未分類・メモ
空間のコンパクト化
空間のコンパクト化という仕組み。
シリウスA組とシリウスB組
『人類が神を見る日』のp.360~p.365を参照。
アクアフラット
ヌーソロジーと芸術
『Everything in Its Right Place』と『BACKSTORY』
Everything in Its Right Place (Radiohead)
About This Song :
Story:
Noosology :
「Right」は歌詞での意味では「正しい」って意味らしいですが、ヌーソロジーでいうと判断や超自我という意味では「大文字の他者」ということにつながり、「右」という見方もできます。英語で「右」と「正しい」が同じ「Right」なのは、そういう意味があるのかもしれません。(直交関係という意味では「左」でもいいのかもしれないですね。)あと、光というか、明るいというのが「Light」というのもヌーソロジーにマッチしてますね。思形とか光といった意味です。
わたし。
大文字の他者。架空の第三の視点。善と悪、正と負、酸いも甘いも……元の曲の歌詞にも合っていますね。
BACKSTORY (written and directed by Joschka Laukeninks)
半田さんのポストされた動画は、『BACKSTORY』というショートフィルムを元にして作成された二次創作のようです。英語だからよくわかりませんが。
vimeoっていう動画配信サイトで見れるらしいです。
感動するのはなぜでしょう。いや、むしろこの動画というのは、感動しない部類なのかもしれません。なぜなら、俯瞰的な、思形的な視点だからです。
だって、登場人物というか、主人公の背中側しか見れないのです。
しかしながら、思形的な意味では、ある意味感慨深いものがあるのかもしれません。キリスト教というか、そういう宗教圏の人々にとっては、このフィルムは一神教の神のような視点か、あるいは天使や精霊、守護霊といった視点のような崇高さがあるのではないでしょうか。
そういう文化的背景という点でヌーソロジーを見てみるのも面白いかもしれません。例えば日本でアニメとかVtuberとか、ライブ配信とかが人気というのは、この動画とはまったく逆で、顔を視聴者側に常に見せるような構図になっているでしょう。つまり、一神教的な文化では思形的に、俯瞰してみるというのに対して、日本のような感性的な文化では、むしろ見られる側に位置する、というようなことが言えるのではないでしょうか。
捻じれが合ったり、自己他者だったりなので、単純に二元的な構造ではないので難しいとは思います。
でも、片方だけに偏らずに、どちらの視点、位置も大事にするというのは、ヌーソロジーでいうと等化とか対化とか、そういうことになるのではないでしょうか。
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