令和の時代に言葉との向き合い方を考えてみた。
昨日、新年号が発表されました。
今日になって新年号ネタを書く時点で乗り遅れた感が満載になるのが、現代の情報スピードの速さを物語っていますね。(たぶん)
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『令和』
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大森が瞬間的に連想したのは『命令の令』。
威圧的な、抑圧的な、ネガティブな印象を持ちました。
その後、各SNSや友人との話の中で興味深く感じることがあって、
あるひとりは『レイワ、っていう響きがキレイ』と。
あるひとりは『名前にハワイが入っている!』と。
ハワイ?と思ったら、Haleiwa(ハレイワ)という町があるそうで。
後で聞いたんですが、その人はその後、『Haleiwaパーカー』を着て外出し、
号外を配っているところに出くわし、
そして見事ゲットした後、
号外と『Haleiwaパーカー』のセットがタイムリーだったためかいろんな人に写真を撮られたそうで。
喜んで撮らせてあげたようで、いろいろミラクルな人でした。笑
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話を戻して、『令』には美しさの意味もありますね。
ご令嬢とか。
引用された万葉集には『令月』という言葉もあるそうで。
たしかにそう書くと美しい。
https://www.kanjipedia.jp/kanji/0007237600/
結局、何を書きたいかというと、
言葉は『ツール』であり、使い方/受け取り方次第でいろいろな意味を持つものだということを再認識した一件でした。
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言葉の定義づけは大事ですが、それに囚われると大事なものを見失うこともあるかと思います。
その定義付けを自分自身で考えていればまだマシですが、人から見聞きしたものであれば、本当のところを分からずに勝手に解釈している可能性にもなります。
(2番目の悪者にならぬよう注意が必要ですね)
筋トレという言葉だって、相変わらずマッチョな人なイメージが強いじゃないですか。
怪我した人やご年配の方のリハビリだって、筋肉を活性化/強くするために筋トレを行ないます。
時には柔軟性を高めるために筋トレをします。
「柔軟性を上げるために筋トレ?」と思った方がいたとすれば、
それは大森と筋トレに対する定義付けが違う、ということになります。
良し悪しではなく、正解不正解でもありません。
捉え方、意味付け、発想の視点などの違いです。
このあたりは年明けのWeeklyOchiai『落合陽一をアップデートせよ』での落合陽一の言葉が印象に残っていて、
『感覚的な言葉の使い方をしなくなると思考はジャンプしなくなる』のは重要なことだと。
言葉はツールであり、その使い方を限定してしまうと、たしかに発想は飛ばないのだと思う。
正確に物事を進める時には重要ですが、
こと未来に向けてクリエイティブな発想を持ちたい時に、言葉の意味付けを偏って固めてしまうと、損失が大きいかもしれないと思いました。
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年号はとても抽象的なものです。
正確な意味なんてものは無く、おそらく時代時代で意味は変わってくると思います。
であれば、未来に対してわざわざネガティブな印象を持ってしまうと、それは損だと思うんですよね。
せっかく次の時代を表す言葉になるのですから、せっかくなら良い方向に受け取る方が、きっと良い時代になるんじゃないかと思います。
同様に、情報化時代においては、人、社会、国が近い距離で言葉のやり取りをしています。
その言葉は、当然それぞれの文脈によって違ってきます。
言葉というひとつの側面を切り取ってみても、多様性の時代になるのは当然の結果ですね。
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補足。
もちろんネガティブな面を見て見ぬ振りするのは良くないです。
物事には良い面と悪い面が必ず存在するものです。
それをどう見るのか、どう受け取るのかは、自分次第、ということです。
4年前の大森のFBで、日本におけるヨガの第一人者、ケン・ハラクマさんの言葉をシェアしてました。
また、落合陽一もNewsZeroのアフタートーク『ウドウ反省会』で
『物事の良いって思うことと悪いって思うを5つずつ考える』と言ってました。(どんな頭の速さ。笑)
逆に言えば、両面見ないと本質を見ることはできないのかもしれませんね。
落合陽一ばかりでスミマセン。
でも確かに彼の言葉にはインスピレーションをかき立てる多くのものが存在するのですよ。
イチローと違って落合陽一の方がネットの中にいることが多いので、影響を受ける頻度が高い、ということだと思います。
しばらくこの流れは続くと思いますのでご容赦ください。m(_ _)m
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結論として、
まず言葉はツールであり、使い方次第だな、ということと、
(身体もツールなので、言葉を身体に置き換えても同じことが言えるなーと、職業から思います)
言葉をわざわざネガティブにとらえず、良い面にも光を当てる姿勢を持って、言葉と向き合う人間で在りたいなと。
これから『令和』の時代を迎えるにあたり大森自身思ったことでした。