それってほんとにダラダラしてるの?
はじめに
ダラダラしたい時って誰にでもある。
私は普段生産的に毎日を過ごしているが、私にもダラダラしたい時期は必ず来る。
1ヵ月に1回から2回ほどだ。
普段はインスタなどで”今日の予定”と題して、自分の生産的な予定やスローシンプル生活を送る様子などを綴っている。
それでもたまに怠惰な自分がやってくることがある。
今日は休みたいな。
今は何もしたくないな。
なんだか体が全然動かないな。
そんな日は普通にある。
生産的な生活を送っていてもだ。
ダラダラしたいと自分が思っているときは、大体疲れている時である。
だから私はダラダラしたいと思った時は自分のやりたいことを中断して、とことんダラダラすることにしている。
そしてダラダラし切るとまた活力が湧いてきて、いつも通りの自分のスローシンプル生活に戻ることができるのだ。
ダラダラすると決めた時は徹底的にダラダラを貫く。
その私のダラダラについて、ダラダラ書いていきたい。
私のダラダラ
とにかく私は何もやる気が起きない時は、自分の好きなことさえも嫌になる。
掃除をしたり、体を動かしたり、歌を歌ったり、本を読んだりすることだ。
それすらも嫌になることがある。
そういう時は徹底的にやらないことにしている。
じゃあダラダラするってどんなこと?
改めて自分がダラダラしている時って何をしているか考えてみた。
ソファーでダラダラとスマホを見る
ひたすら無意味なYouTubeを見漁る
溜まっている録画番組をぼーっと眺める。
とことん寝る
すっぴんで過ごす
外には極力出かけない
ダラダラ日のために取っておいている冷凍食品をフル活用
まぁこんなところだろう。
普段の私からしてみると全く想像できないことである。
普段は運動して、勉強して、記事を書いて、本を読んで。
こんなに活発に生産的なことをしていても、私だってたまにはダラダラしたいし、家から出たくない日がある。
そういう時は体が疲れていると勝手に自分の都合のいいように解釈して、とことんダラダラするようにしている。
もう人間終わってるんじゃないかっていう位ダラダラし切ったら、さすがに罪悪感を抱き始め、そこから活力が湧いてくる。
そろそろ動こうかな、とか何か動きたくなってきたな、とか、ムズムズする、そんな感じだ。
でも、ダラダラしてばかりで、永遠に立ち上がれない時ってたまにあるはずだ。
そんな時は無理矢理1つ予定を入れてみる。
強制的に外に出る作戦だ。
そうすると意外と帰ってきたときにスッキリして、「あ、なんか明日から頑張れそう」なんて気持ちになるのだ。
でもさ、ダラダラってさ
まぁここまで書いて言うのもなんだが、人は完全にダラダラすることはできない生き物である。
だってトイレは行くし、お風呂も3日入らなければ、4日目は自分で流石に嫌になって入るだろう。
食材も調達しなければいけないし、宅配のお兄さんがびっくりしないように身支度も最低限する。
徹底的にダラダラするなんて、生きている限りできないのではないだろうか。
なんだか「生産的に生きなければいけない」って思いがちな日本人だけれど、普通に朝きちんと起きて、仕事をして帰ってきて、お酒を飲んで疲れた体を癒し、お風呂に入り、寝る。
そんな生活がダラダラしてるとはとても思えない。
きちんと私たちは生活している。
生きているのである。
普通に生活しているのに、さらにその上に生産的に過ごせだの、もっと自分を成長させるために、何かをしようだの考えてはいけない。
人は、生きて息をしているだけで、充分生産性がある。
実は本当の意味でダラダラしていないのである。
おわりに
もっと普段の生活のハードルを下げてみてもいいかもしれない。
自分は今日はこれだけできた。
それで充分じゃないか。
生きるって事はとても大変だけれど、健康的に生きていられるんだからそれで充分じゃないか。
だから自分に正直になってダラダラしたって大丈夫。
罪悪感を持たなくたって大丈夫。
週末はとことんダラダラしてみよう。