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雨が降っている 1 (ファンタジー)

 雨が降っている。
 魔法使いは、旅の仲間と目を合わせないようにしていたが、その必要がないことに気がついてホッとした。清廉潔白で自尊心の高い騎士は、雨ごときで文句は言わないし、狩人は雨の森には慣れっこだったからだ。
 魔法使いの頭巾からは雨が滴っている。
 こんな森の中で雨が降ったりすると、人々は雨に濡れない魔法を期待して魔法使いを見ることがよくあった。ちらりと期待を込めた目で魔法使いを見るのだ。それが嫌だった。
 人々は魔法を、ちょいと棒を振れば容易に便利を効かせられるものだと思っているのだ。 魔法にはご用心ご用心、魔法使いは思った。もし、魔法使いが杖を振って、雨粒があなたを避けて落ちたとしよう。雨粒を動かしたのは誰だ?
 あなたには見えない大鬼が、よだれ垂らしながらあなたの上に覆いかぶさっているのかもしれない。その飢えた大鬼が、今あなたを頭から食べてしまわないのは、魔法使いがその後に約束している血の滴った肝臓を楽しみにしているからかもしれないし、魔法使いが床に垂らした水銀の線が怖いからかもしれない。どちらにしても、いつ大鬼の気が変わって目の前のあなたを食べてしまわないとも限らない。
 魔法とはそういうものだった。

 魔法使いは子供の時、魔法使いになろうなんて、露ほども思っていなかった。自分は父親のように大きな商家に勤めに出るか、または叔父のとこでお菓子職人になると思っていた。
 魔法使いは子供の頃から人の見えないものを見ることがあった。家の陰に黒い人影を見たり、野の花に白い陽炎を見たり、山では素早く動く動物とも鳥ともつかない影を見たりした。 とは言えそれがどうこう言うことはなかった。ただの影や陽炎だから。
 あるとき少し変わった影を見つけた。初め黒い子猫かと思ったか、よく見るとそれは影で、むしろ丸っこいトカゲに似ていた。普通の影や陽炎は虚ろで直ぐに消えてしまったり、素早く動いてどこかへ行ってしまうものだが、それはそこにとどまっていて、その顔は子供の魔法使いを見ていた。
 子供は持っていた割れた金平糖をそれにやった。それは一口で金平糖を食べた。
 そう言うことが何日か続いた。
 ある日、子供は家の前に座って通りを眺めていた。通りには壊れた馬車を前に、なんとか修理しようとする大人が数人奮闘していた。車輪と軸が外れてしまい、何とか荷台を持ち上げて車輪を軸にはめようとしている。でも持ち上げ役の2人の息が合わなくて、なかなかうまい様に行かず、親方と思われる太った男は鼻息も荒く、2人を間抜け呼ばわりしていた。実際2人は間抜け面で、口がいつも半開きだった。
 それは夕刻で、昼と夜の境。影たちがよく動く時間帯だった。魔法使いは金平糖をそのチビに見せて言った。
「靴紐を引っ張っておいで!」
 チビの影は即座に魔法使いの言ったことを理解して、滑るように通りを渡った。

 雨が降っている。
 騎士は鎧を雨で濡らしていた。左肩から左手の先まである大きな傷跡の僅かな引き攣れを感じていた。濡れた鎧の手入れの仕方を無意識に思い返していた。それから、この任務の行方を思った。これもまた騎士が望まない任務だったが、騎士にとってそれが自分の望むものか望まないものかは無関心事だった。
 あのときも同様に望まない任務であり、騎士の人生に大きな影響を与えたが、それでもなお騎士にとって、後悔すべき理由にはならなかった。
 騎士は7人兄弟の三番目だった。家督を継ぐわけもないが、真面目で剣の腕も確かだったので、王宮に仕官し、勤めていた。 王族の護衛、鍛錬、邸での静かな生活が続き、そのうち見合いをして物静かな妻をもらって暮らすつもりでいた。
 あるとき、夜半に出動があった。小さいけれど瀟洒な細工をされた馬車の護衛だった。騎士は直ぐにそれが第三姫のものだとわかったが、紋章は外されていたので、詮索しなかった。護衛は騎士以外は下級のものばかりで四人。
 騎士の好まない護衛だったが、騎士らしく真面目に勤めた。
 それは森の奥の古い館で、王宮に出入りしている未亡人の貴婦人の別宅だった。噂に疎い騎士でもよくない噂を耳にしたことのある貴婦人だ。 館の裏には馬が一頭繋がれていた。隠してあるつもりかもしれないが、騎士の目はごまかせなかった。安っぽい男物の馬具が付いている。
 ベールで顔を隠した姫は一人で館へ入っていった。
 貴族同士の恋愛ごっこはありふれているが、それが他国の王の婚約者となればスキャンダルだ。

 雨が降っている。
 狩人は雨の中、ただ座っていた。黒い剛毛から雨をしたたらせ、それが目に入る。革と羊毛でできた無骨な服はすっかり濡れてしまっていた。それでも人にとってそれは普通のことだった。雨が降れば濡れるのだ。
 狩人の道具はしっかりと獣脂が塗られているし、必要なものは油紙で包んであった。とはいえ、自分たちは、いつ動くのだろうと狩人は考えていた。それを決めるのは身分の高い騎士だろう。この雨では足元が悪く、山道を歩くのは危険かもしれない。狩人も、獲物を追跡しているのでなければ、木陰かどこかの虚で、じっとしていたいところだ。
 狩人は、この騎士が立派な人だと思った。威張り散らしたりしないし、この雨の中でも平然と立っていた。前に貴族だか騎士だかの狐狩りの道案内をした時はひどかった、と狩人は思い返した。

 騎士が言葉を発した。
「ここで食事を取ろう」
 目的地の竜の巣はこの峰を超えた先の山だ。もし竜に気取られたくなければ、火を使えるのはここが最後だ。もし、人間ごときを竜が気にするならばだが。
 騎士の言葉に従うのは狩人だ。騎士だとか貴族だとか、魔法使い様だとかは、細々こまごまとした下働きはしない。狩人はそれを理解していたので、すぐに体を動かした。
 まずは薪だ。この雨の中乾いた木を探す。こういう時は苦労するものだ。特にしばらく長雨が続いた時には。狩人は岩陰や木陰を探って、出来るだけ乾いた薪を集めた。
 なんとか食事を作れるほどの、薪を持って旅の仲間の元へ戻ると、魔法使いも同じくらいの量の薪を抱えて立っていた。狩人は驚いたが、頭を下げて礼を言った。魔法使いはつまづいてちょっと前に足を出した。そして気まずそうに頭を下げた。

 魔法使いは、騎士の言葉を聞いてするりと立ち上がり薪を集めていたのだ。いつもしていることだ。魔法使いは旅から旅への旅ガラスで、旅暮らしが身についていた。
 魔法使いは地形を読み、風を読んで、雨当たりにくそうなところを探した。この国は乾いた海岸と湿った山々がある。この時期、この斜面には遠く海から吹いて来た湿った風が当たり、この山には雨が降る。つまり、風下は斜面側ということになる。期待したほど乾いた枯枝は見つからなかったが、火をつけることはできるだろう。幸い、乾いた杉の枯葉を見つけることができた。
 とはいえこの雨の中である。どうやって火を付けたものか。峰の向こう側は火山だとは言え、こう雨が降っていては火の精霊も地の中から出てこないだろうし、火トカゲもしかり。力の言葉を唱えることは、できればしたくない。魔法使い自身が消耗してしまうし、山影とはいえ、性悪のあの竜に感づかれてしまうかもしれない。では、コーラム(呪いの模様。玄関先などで幸運を招き入れるために描かれる幾何学模様)を描いて火の精霊を待つか?いやいや、そんなに待ってはいられない。
 魔法使いが考えあぐねているうちに、狩人は懐から油紙を取り出し、中からアスベストに包んだ火種を取り出し、やすやすと杉の枯葉に火を付けた。
「あ」魔法使いは小さく声を出した。それはだれにも気づかれることなく、雨の中に消えていった。グズグズと魔法使いが考えあぐねている間に、実務家の狩人が問題を解決してしまった。
 狩人は火を焚き、昨日仕留めたウサギを焼いた。携帯していた岩塩を削り、大切に振りかけた。それを先程取ったばかりのきれいな葉っぱの上に置き、騎士と魔法使いに差し出した。二人は静かに頭を下げてそれを受け取った。
 大きなもみの木の下で、三人は雨宿りをしている。鬱蒼と茂った葉を通して雨が降っている。
 三人は黙って肉を食べた。

 騎士はこの食事のひと時を楽しんでいた。雨の中であろうとも。ひととき、竜退治の大役の重荷を忘れ、心はあの日の夜に彷徨った。
 第3 姫がどこかの色男と情事を楽しんでいる時、騎士はさほどゴロツキと変わらない下級兵をどのように鍛え直すか考えて待っていた。
 そこに、馬の嗎が聞こえた。馬車の馬でもなく、兵の馬でもない。騎士は不審に思い、兵を見に行かせた。頼りないその若い兵隊は、薄暗い中、それでも若者らしく軽快に走っていった。
 しばらくして、兵隊が戻ってきた。なにやら腕を振り回している。そして、後ろの方を指差した。
 同時に馬車が走り出す音が聞こえた。もう一台馬車があったのだ。騎士は兵隊に自分たちがいる表門を固めるように言うと、馬にまたがり、馬車を追った。
 馬車を追う騎士。騎士は乗馬にも秀でていたので、すぐに追いついた。騎士は身軽に馬の背を蹴って御者台へ飛び乗った。そのまま、御者を蹴落とす。手綱を引いて馬車を止める。抜刀して馬具から馬を解き放った。
 飾りも紋章もない黒い馬車の扉を開ける。
 第三姫と色男が乗っていた。
「姫様、ご無事で」騎士が跪いた。
 第三姫は冷たい表情のまま言った
「なぜ馬車を止めたのですか?」
 それが、任務だからだとは騎士は言わなかった。ただ「ご無事で…」と繰り返した。
 見ると、くだんの色男は三流貴族の三男だった。このまま二人で逃げたところでどうにもなるわけがなかった。それは文句を言っている第三姫にもわかっていたのだ。
 そこに、三人の賊が現れた。
 騎士は慌てずに抜刀した。相手が誰であろうとも、刃を向けてきたものをどう扱うか、騎士には決まっていた。刀を振りかぶってきた一人目の胴を切り抜き、二人目が振りかぶる前にその小手を打ち、三人目は抜刀する間も無く袈裟懸けに切られて倒れた。
 そこに、先ほどの若い兵士が馬に乗ってやってきたので、騎士は馬車を回してくるように言いつけた。
 第三姫はそこにいたが、かの色男の姿はなかった。それでよかった。騎士は無駄な殺生はしたくなかったから。
 そこに雨が降ってきた。

 雨は降り続く。
 魔法使いは、ウサギの肉というのはもっと臭いものだと思っていた。それで狩人の調理の腕に感心した。この場合、調理というのは、ウサギを捕まえて、シメ、肉にする工程も含まれている。
 雨は、魔法使いの記憶を呼び覚ました。

 黒蜥蜴。それは金平糖で手なずけた魔法使いの最初の使い魔の名だ。
 黒蜥蜴は通りをするりと渡ると、間抜けな人夫の靴紐を器用に結んだ。
 すってんころり
 ノッポの人夫がすっ転ぶのを見て、子供の魔法使いは大笑いした。すると、それを喜んだ黒蜥蜴はもう一人のデブの人夫の靴紐も結んだ。
 すってんころり
 デブの人夫もすっ転んで通りに無様に転がった。子供はまたまた大笑いした。
 戻ってきた黒蜥蜴に金平糖をやる。黒蜥蜴は満足そうに魔法使いの周りを這いずり回った。
 間抜けな人夫を二人酷い目に合わせた後、魔法使いは調子に乗った。いたずらで家の台所から持ってきたマッチを黒蜥蜴に渡した。
 黒蜥蜴はまたもするすると通りを渡り、荷馬車の方へ滑っていった。
 ばちん!
 破裂音がして馬車の車輪の下から火が噴き出した。子供の魔法使いは仰天した。マッチ一本であんな火が出るものか?
 それが黒蜥蜴の魔法だったのだ。それは火蜥蜴という妖精だった。
 馬車は一瞬火に包まれた。積荷ごと、間抜けな人夫と意地悪の商人も一緒に。
 そこに雨が降ってきた。その静かな雨は、どういうわけかあの勢いの強い火を直ぐに鎮めた。魔法の雨だった。いつも間にか、そこには灰色の頭巾付き外套を被った男が立っていた。子供にはその男の力がわかった。魔法使いだ。
 灰色の外套を着た魔法使いは、真っ直ぐにその子供のところにやってきた。子供はすっかり怯えてしまい、動けなかった。灰色の男は子供の目の高さまで屈みこんで、それから静かに話しかけた。見た目とは違って、その声は優しく、子供を気遣っていた。なぜなら、灰色の男にも、その子供と同じような経験があったからだ。目に見えないものと付き合っていく方法を知らずに辛い日々を送ったこともあった。灰色の男は、その子供にはもっと良い人生を歩んでほしいと思っていた。
 しかし、それは叶わぬことなのだが。

 その子供はそれから、魔法の修行を重ね、魔法の学校を卒業して、ついには砂嵐に乗って、この国までやってきたのだった。そしていま、この雨の中、険しい山道を旅の仲間とともに歩いていた。

 雨は降り続いている。
 狩人は二人から少し隠れるようにしてウサギの肉を食べていた。身分のある人の周りではとにかく 大人しくしているに限るからだ。
 本当なら狩人は、城からの仕事なんて受けたくなかった。しかし、この山もあの山も全て王様のものであり、狩人が自由に猟ができるのも、王様の許しがあるからだと知っていた。それはつまり、王様の気に入らないことがあれば兵隊に槍で突かれると言うことだ。
 それに、面倒な仕事をすれば、幾らかの施しがもらえた。とはいえ、狩人にとって金銭はあまり重要ではなかった。森にあるもので事足りていたからだ。
 狩人は食べ終わると静かに素早く火を始末し、道具もきれいに片付けた。
 この峰を越えれば、と狩人は考えた。この峰を越えれば、狩人とても、あまり行ったことのないところだった。なにしろ竜が住まっているし、火山のせいで獲物もあまりいないからだ。火山の影響で木も疎ら。地面から吹き上げるガスを避けて進むわけだが、狩人はすでに安全な道を知っていた。

 雨は降る。
 騎士は若い兵士に馬車をこちらまで回してくるように言いつけた。侍女も連れてくるようにと。ほどなくカラカラと車輪の回る音がして瀟洒な馬車が到着した。侍女は現場を見て悲鳴を上げたが、騎士の視線を浴びて黙った。そして、自分の仕事を思い出し、姫様の世話を焼いた。
 城は静かに騒ついた。雨の中、最小限の灯りがともされ、大臣が渋い顔をして起きて来た。寝巻きにガウンを羽織っただけの格好で。騎士の報告を大臣は喜ばなかったが、仕事はした。
 それからの騎士の処遇は、今までと変わらなかった。これはあってはならない出来事であった。しかし、騎士は騎士としての仕事を立派に果たしていた。王様はこの騎士をどのように扱って良いか決めかねていた。
 王様は、旅の魔法使いが来ていることを思い出した。その魔法使いは、砂嵐に乗って王宮の広間に到着したのだ。それから大魔法を使い、強力な悪いジンを鎮めた。王は、すっかり敬服して、その魔法使いを貴賓として持てないしていた。が、すでに飽き、先ほどまで忘れていた。
 ちょうど良い。そういえば、魔法使いは、火山に住む竜のことを話していた。たしかに、あんな大きな竜が近くにいたのでは、王としても民の危険を考えなければならないだろう。それがここ百年くらい、その火山の上で居眠りしているとは言え。
 王様は騎士を呼びつけ、聖剣と聖鎧を与え、魔法使いをつけて、竜退治を命じた。

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