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雨があがったら (ファンタジー)

 「雨があがったら」  

 土砂降どしゃぶりの中、農夫のうふ矢切族やぎりぞくわたしに着いた。日暮ひぐれだった。わたし船が係留けいりゅうしてある桟橋さんばしの近くには粗末そまつな小屋があり、煙突えんとつからは煙が上がっていた。
 その待ち合いの小屋の引き戸を開けると土間どまで、手前に土の釜戸かまどがあり、奥の方には床が張ってあった。そこにはマントの男と大きな牛男うしおとこがむっつりと座っていた。
 小さな囲炉裏いろりが切ってあり、き火が牛男の顔とひたいから突き出た恐ろしいつのを照らし出している。隣の男のフード付きのマントには、よく見ると、星や月を象った細かい刺しゅうがしてあった。マントはいい品物のようだが、その下の服は粗末そまつだった。
 農夫は内心ないしん眉根まゆねせていた。牛男うしおとこ人族ひとぞくではないし、マントの男はまじかなにかだ。農夫は、こんな、どこの馬の骨とも知れないような連中れんちゅうとしばらくは過ごさなくてはならない自分の境遇きょうぐうなげいた。
 それもこれもめいが悪いのだ。そもそも姪が川向こうに嫁に行くと言い出したとき、
「川向こうなんて外国のようなものだから」と言って反対したのだ。しかし生まれつき腰の落ち着かない性分の姪は、さっさと嫁に行ってしまった。そのおかげで自分は今こんなところにいなくてはならない。
 そうはいっても農夫はその風変わりな姪をかわいがっていて、今もその気持ちに変わりはなく、しばらくぶりに会えるという気持ちがある分、この足止めに腹が立っているのだった。
 かまどの前には矢切族の男が座っている。矢切族というのは、色の浅黒あさぐろ小柄こがらな人族で、昔からこの辺りに住んでいる。今は川渡しなどをやっているが、昔は追いはぎをやったり、川を渡すと言っては旅人を川の真ん中に沈めて金品を取るようなことをやっていたので、大人しい部族となった今でも、農夫はあまり好きではなかった。
 しかし農夫は持ち前の礼儀れいぎ正しさで、その男にいつ頃、川を渡れるか聞いた。その男はぼそぼそと、でも丁寧ていねいに「雨があがったら」と言った。
 外はバケツをひっくり返したような雨で、農夫もマントから水をしたたらせていた。農夫は小さくため息をつくと、れたマントを脱いで壁に掛け、靴の泥を落とし、足を洗って床に上がった。
 マントの下まで濡れてしまったので、寒くて火に当たりたかった。農夫はどこに座ろうかと考えた。そして、牛男よりは、たとえ呪い師でも人族の方がよい気がしたので、そのマントの男の隣に腰を下ろした。
 囲炉裏の火が心地よく農夫の体を暖め、少しずつ服も乾いてきた。しばらくは火のはぜる音だけが小屋の中の唯一の音だった。

 「いやあ、長雨ですな。」
 ついと、まじない師が言った。その言葉は一瞬沈黙ちんもくに飲み込まれたが、一度られた沈黙は言葉の力を受け入れた。
 まじは手を火にかざしながら言葉をいだ。
「ほら、この牛男さんは村からわざわざ鉄の農具を買いにいらしたのですよ。でもこの雨でもうずいぶん足止めを食っているそうですよ。」
 牛男は「ええ、そうです」と言うようにゆっくりうなづいた。その顔は、額から突き出た恐ろしい角とは裏腹うらはらに静かで優しかった。
 農夫は心配になり、どのくらい足止めされているのかと聞いた。
「もう三日になります」と牛男は答えたので、農夫の心は重く沈んだ。
 呪い師は話を続けた。
「ほら、それにあの少年は狼族おおかみですよ。狼族というのは子供の頃、ああして狼と旅をするのです。」
 農夫は首を傾げた。矢切族の男と牛男と呪い師と自分の他に子供などいただろうか。
 呪い師はついと右手で大きな水瓶みずがめの脇を指し示した。するとそこには今まで農夫が気づかずにいた大きな狼がいた。
「狼だ!」
 農夫は驚いて後ずさった。顔は恐怖きょうふで青ざめ、口は大きく開いたまま、わなわなと震えている。
「まあまあ、そんなに驚かないでください。あの狼は特別な狼なんです。狼族の人間と強い絆で結ばれています。あの少年に危害を加えない限り、あの狼が人を襲うことはありません。」
 呪い師が落ち着いてなだめ、牛男も矢切族の男も少しも慌てたふうがないので、農夫もそのうちやっと落ち着いて、渋々ともとのところに座った。それでも狼から少しでも遠くに座るようにしていた。

 農夫がやっと落ち着いたころ、引き戸が開いて人が入ってきた。
 それは小柄な青年で、身なりがよかった。黒いまっすぐな髪を長く垂らしていて、切れ長の目が端正な顔立ちだった。
 農夫は少しほっとした。今度の人はずいぶん文明人のようだ。
 隣の呪い師が目を見開いて驚きの表情をした。
「なんと。失礼ながら、あなたは玄族げんぞくかたではありませんか?」
 するとその青年は、マントのフードをあげ、水を払って、それからゆっくりと「そうです」と答えた。
 呪い師は「なんとすばらしい」とか言いながら、その玄族の青年に火のそばに座るように促した。
「玄族の方、何か御用で河を渡られるのですか?」
「ええ、所用がありまして」その青年は詳しいことは語らなかった。
 それでも呪い師は「そうですか。そうですか」と、いかにも感心したように一人でうなずいていた。
 この小柄な青年の出現で、農夫の気持ちは少し明るくなった。あの土間に直に座る狼族や怪しげな呪い師と違い、どうやらまともな人間のようだし、身なりからして高貴な人なのだろう。

 夜が更けていった。雨は弱くこそなれ、降り止まなかった。雨と河の音が小屋を包み、小屋の中には沈黙があった。しかしそれはもはや前のようにはっきりとした沈黙ではなくなっていた。
 そしてまた呪い師が言った。
「どうですか、皆さん。もう夜がけてまいりました。たとえ雨が止みましても、夜が明けるまで舟は出ますまい。私は少し米を持っておりますから、少しかゆでも皆で食べましょうではないですか。」
 そう言うと呪い師はふところから米を一袋取り出した。たいした量ではないが、薄い粥なら、皆に一杯ずつ回すことができるだろう。
 すぐに玄族の青年は、「少しばかりですが」と言って上等な米と塩を出した。すると牛男もトウモロコシの粉と野菜を出した。ついには狼族の少年も干し肉を数枚提供した。
 矢切族は、そんなやり取りに全く気づかないように無視していたが、農夫はそう言う訳にも行かず、小さな声でぶつぶつ言いながら、姪のところに持っていく野菜と香草を少し出した。その量が牛男が出した野菜の量より少なかったので、農夫は恥ずかしく思った。
「さて、鍋ですな」そう呪い師は言うと、土間に降りて矢切族の男に話しかけた。しかし、男は首を横に振るばかりだった。
 鍋を借りることができなかった呪い師は、
「さてさて、どうしたことですかな」と言い、しばらく思案しあんしていたが、みんなが見守る中、懐から一枚の大きな紙を取り出し、それで器用に鍋を折った。
「紙の鍋など馬鹿にしている」と農夫は内心、やっぱり旅の呪い師など信用できる人間ではないなと思った。身分のある人ならこれに何か物言いをしてくれるのではないかと農夫は期待して玄族の青年を見たが、青年は先ほどと同じように涼しい顔で、呪い師の手元を見ているだけだった。
 呪い師は、紙の鍋で米を研ぎ、切った野菜を入れ、また水を満たすと、火にかけた。
 紙の鍋に水を入れたときも驚いたが、それを火にかけたとき、農夫はつい「あ」と小さな声を出してしまった。
 紙の鍋は火にかけられても燃えず、中の粥は直ぐにぐつぐつと煮えだした。
 農夫の出した香草が干し肉と粥の匂いと混じり合い、食欲をそそる香りが小屋の中に広がった。
 呪い師は、紙でもって椀としゃもじも器用に作るとそれに粥を取り分け、みんなに配った。少年と狼にもそれぞれ一椀ずつ配った。
 粥は量こそ少なかったが、温かく、いい味だった。
 それで全員がゆったりとした気持ちになり、あとはみんなめいめいゆったりと体を横たえた。

 腹が満たされて、少し気の緩んだ農夫は口もゆるくなり、
「ときに、玄族というのはどんな人々なんでしょう?」と言った。
 それは誰ともになく聞かれた質問だったが、当の玄族の青年は微笑ほほえむばかりだった。代わりに呪い師が答えた。
「私の知識が正しければ、玄族というのは、見た目は人族と同じでも全く違う種族で、千年も二千年も生きるということですよ」
「失礼ですが、お若く見えますが、おいくつなのですか?」農夫が聞いた。
「私はまだ百を少しこす程です。人族で言えば十歳の子供のようなものです」
 何と、二十代に見えるこの青年は、農夫の祖祖母よりも年上なのだ。
 これはとんだ化け物ではないか。そう言えば、いくら上等の靴とはいえ、あの雨の中を歩いてきているのに泥一つ付いていなかった、と農夫は思い当たった。これはどうやら旅の呪い師よりずっと怪しいようだ。
「では一番若いのは、その狼族の少年でしょうか?」玄族の青年が言った。
「僕は八歳」狼族の少年がちゃんと口をきいたので、農夫はちょっと驚いた。そうして、八歳の子供を一人で旅をさせる親はなんて無責任なんだと一人で腹を立てた。
「では一番若いのは私だ」と大きな牛男が言った。
 農夫はこの冗談にハハハと笑ったが、牛男は真面目な顔で言った。
「私はこの前五歳になったのです。誕生日を祝った夜、息子はそこら中ね回っていました。ああ、今頃家内と息子は私の帰りを待っていることでしょう。こんなに長く家をあけたことはないのです。それにこの長雨です。私はカラス麦のことが心配でなりません」
 牛男はそう言って、黙った。
 農夫は、牛男と同じに自分の畑のことに思いをせた。確かに雨が多い。日照不足にっしょうぶそくで作物の育ちが悪いのだ。
 牛男というのは見た目は悪いが、こうなってみると、農夫に取って一番親しみやすいのは、カラス麦のことを心配している牛男ということになった。
「なるほど、牛男さんは年を取るのが早いのですね」
「ええ、半分牛ですから」 
「玄族の方にとって、私たち人族の人生など、一瞬のことですな」いやはやという風に呪い師が言った。それに玄族の青年が答えた。
「いいえ、誰にとってもそれは一生分の長さがあるのですよ。玄族なら自分のような子供でもそれを知っています」
 それでつまり、この小屋の中には男ばかり、5歳から100歳のまでの男が居合わせたことになるのだった。
「それでは、玄族と人族というのは、それでは何が違うのですか?」呪い師が聞いた。
「そうですね。人族にしろ牛男にしろ、生まれ変わっても人族だし牛男です。
 しかし、玄族は、そうとは限らないのです」
「ハー、私はまた人だし、牛男さんはまた牛男なんですか」呪い師が言った。
「はい、でも玄族は、次は鳥かもしれないし、虫かもしれません」
 狼族の少年はあまり関心がないように見えたが、牛男も呪い師も納得してうなづいていた。しかし、農夫は今度は「ああ、やっぱり自分は一人なのだ」と思い、またこんな異教徒と一緒にいると思うと空恐ろしくなった。というのも、農夫の村では、神はただの一人で、死ねばその身元に行くのだと信じられていたからだった。農夫は少し寂しくなり、早く河の向こうの姪の家に行ければと思った。
「ああ、早く河を渡れれば」と小さく独り言を言った。
「そうですな」それに呪い師が答えた。
「玄族の方、あなたならばこの河を渡っていけるのではないですか?
 前に聞いたことがあります。玄族は水の上を走って渡るのだと。右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出し、そうして水の上を走って行くのだと」
 しかし青年はそれには微笑んで答えず、言った。
「あなたこそ魔術で河を渡れるのではないですか?」
 呪い師は答えた。
「雨はいつか止みましょう。河には渡し船がありましょう。なぜに魔法の必要がありましょうか」呪い師はそう言って微笑んだ。
「そうですね。雨はいつかやみます」そう、もう三日も足止めされている我慢強い牛男が言った。
 狼族の少年と狼は、いつものように大人が当たり前のことをもっともらしく言うのを黙って聞いていた。

 カタン
 物音がした。
 玄族の青年は、にわかにするどい目つきになって片膝かたひざを立てた。間を置かず、得物えもの(武器のこと)を持った矢切族の男が三人、小屋の中に飛び込んできた。
 一堂いちどう呆気あっけに取られていると、真ん中の男が何か投げた。それは真っ直ぐ呪い師の頭に飛んで来たが、玄族の青年が素早く薪を拾い上げ、それで飛んで来た物を払った。
「コーン」
 はじかれた物は、家畜をさばく時に使う小刀で、木の柱に深く突き刺さった。
 農夫は声を上げ、小屋の奥へばたばたと走った。あんまり慌てたので囲炉裏の灰を巻き上げてしまった。押し入ったぞくは灰に一瞬ひるんだ。
 牛男はのっそりと袋の中から新しいすきの先を取り出した。
 左右の男がびた刀を振りかぶって切り込んで来た。
 牛男は、鋤の先で、玄族の青年は柱に刺さった小刀を素早く抜いて、それぞれ錆びた刀を受け止めた。
 そのときやっと我に返った呪い師が両の手を前に突き出し、右手は人差し指を左手は中指と薬指の間をあけ、何やら呪文を唱えた。
 すると三人の賊は、凍り付いたように動かなくなった。

「見事な金縛かなしばりの術です」玄族の青年が呪い師に頭を垂れた。
「いいえ、こちらこそ、命を助けられました」呪い師は同じように頭を垂れた。
 牛男は、何事も無かったようにその農具を袋の中にしまった。
 ふと、狼と少年が姿を現した。あの一瞬で気配を消し、どこかに身を潜めたのだ。それにもしぞくが迫ればあの狼の牙に掛かっていた事だろう。
 農夫は逃げるときにぶつけた足を押さえながら奥で座り込んでいた。
 そこにかまどの前に座っていた矢切族の男がやって来た。男は頭を少し切ったのだろう、血が流れていた。表情はややけわしくなっていたが、落ち着いているように見えた。しかし金縛りになっている三人の前に来ると、持っていた火掻ひかき棒で容赦ようしゃなく打ち付けた。
 あわてて呪い師が止めに入ったが、しばらくは止まらなかった。
「さっき人を呼んだから」とだけ言って、また、釜戸の前に座ってしまった。
 呪い師は懐から薬を出してその男の頭の傷を塗ってやると小さく「ありがとう」と言った。
 すぐに矢切族が5,6人やって来て、小屋はいっぱいになった。男たちはめいめい得物を持っていたいた。金縛りになった三人を見ると、縄を出してきてぐるぐる巻きにしてしまった。そこで呪い師が金縛りを解いた。三人はあんまり強く縛られていたので、うめいた。
 そこへ矢切族の男たちは、持って来た得物で、縛られた三人を頭と言わず体と言わず黙々もくもくなぐりつけた。
 呪い師は慌ててまた止めに入ったが、やんわりと押し返されてしまった。
 そのうち土間は血だらけになり、男たちは息が切れ、やっと止まった。
 農夫はその野蛮やばんさに、やっぱり矢切族など追いはぎのたぐいのままだと思い、また気分が悪くなってうつむいて、目をそらした。
 外はまだしとしとと雨が降っている。縛られた三人はすみにうっちゃられ、残りの矢切族は釜戸の前に座り込んだ。
 呪い師は男たちにどうしてこんな事をするのか問うた。
「私たちは昔、追いはぎや雲助くもすけ(悪党駕籠かき人足)をやっていました。今では河の渡しなどをやっていますが、こうして厳しいおきてを守らなければ、また追いはぎと思われるのです。この三人は明日、このまま河に流します」
 そう言うと黙りこくってしまった。
 縛られた三人の男は、ひどく傷ついて、血を流し、顔をらせていた。一人など左目がつぶれてしまい。あまりの痛さにひっきりなしにうめいていた。
 農夫は刃物を突きつけられた恐怖を初めて知った。どういう理由か分からないが、ああいった連中は許せないと恨んだ。だから三人がああして土間に転がってるのは当然のむくいだと思っていたが、反面、血を流して苦しむ姿を見て胸が痛んだ。
 呪い師は、どうしてこの三人が突然襲って来たのか知りたかった。呪い師はどんな事でも必要以上に首を突っ込むのはよくないと知っていたが、それでもその理由を知りたかった。
 そこで矢切族に傷の手当をしてもいいかと許可を求めた。「どうせ河に流してしまうが」と言って許してくれた。
 呪い師は薬をつけながら、小声でどうして自分たちを襲ったか尋ねたが、三人ともそれには答えなかった。
 呪い師は、薬を塗り終わって呪文を唱えると、傷は塞がった。つぶれた目も、つぶれたままだったが傷は塞がり、痛みも引いたようだった。もううめき声を上げなくなった。
 玄族は、部族の事にあまり関わらない方がいいと知っていた。そこにある均衡きんこうにあまり大きく干渉しない方がいいのだ。それに各部族は長い歴史の中で経験に寄って独自どくじの文化や風習を持っているのだ。
 玄族としてはまだあまり長くない人生だが、それでもこう言ったことを、この青年は何度も見て来ていた。こんな長雨で川渡しができないと土地も持たず手に仕事も無い者がまず飢え始める。そうして追いつめられた人々は、他の人々を襲ったり盗みを働いたりするのだ。
 それにまだ若いながら玄族である青年は、その霊力によって土間に横たわる三人の飢えた家族が見えた。
 この三人がこうして捕まった事により、その家族はもっとつらい事になるだろう。
 夜明けはもうすぐだが、まだ暗く雨は降り続いていた。土間には釜戸の前に座り込む矢切族、縛られて転がる男たち、隅にうずくまる狼族。床の上にはうつらうつら舟を漕ぐ農夫。大胆に眠っている牛男。それに火に当たりながらまんじりともしない、玄族と呪い師がいた。

 夜が明けた。
 雨はあがり、雲が流れてゆく。舟の待ち合いから人々はい出して来た。縛られた三人は、桟橋の上を歩かされて行く。
 桟橋の先にへ来ると、立会人が数名待っていて、三人に罪状を読み上げた。次に矢切族にしては屈強な二人の男がやって来た。三人を河に投げ込む役だ。
 ふと、呪い師がそこに駆け寄って行った。手には囲炉裏の消し炭を持っている。「最後の祝福しゅくふく」をしたいと言う。矢切族は少しうるさそうにしたが、結局許した。
 呪い師は、三人の額に消し炭で、何やら文様もんようを描いた。
 死刑執行人しけいしっこうにんは、呪い師が離れるとすぐに三人を河の中に蹴落とした。矢切族というのは泳ぎが達者だが、手足を縛られていては泳ぐ事ができない。
 玄族は淡々と成り行きを見ていた。
 農夫は顔を背け、矢切族というのはやはり野蛮だと決めつけた。
 狼族の少年は澄んだ目で見ていた。
 牛男は時として受け入れにくい事でも受け入れなければならないと知っていた。
「さあ、どうぞ」
 渡しの準備ができ、一堂を舟に導いた。
 そのとき狼族の少年が川下を指差して言った。
「河イルカだ!」
 見ると三頭の河イルカが川上に向かって泳いで来た。元気よく飛び跳ねていたが、よく見てみるとそのうちの一頭の左目がつぶれていた。
 呪い師はそれを見るとにこりと微笑んだ。
 一人一人順番に舟に乗り込んだが、呪い師は乗らなかった。心配した農夫が、
「もう、舟が出ますよ」と言うと、呪い師は船縁ふなべりに寄って来た。
「どうですかな。私たちは一夜を共にしましたが、お互い名乗らぬままです。どうでしょう、お互い名乗り合うというのは」
 農夫は早く舟を出してほしいのに、また、呪い師がおかしな事を言い出したものだと内心困った。しかし玄族の青年がすぐに応えた。
「私はアズネルと申します」
 すると牛男が、
「私は、ブ・ロンド」
 狼族の少年は「僕はサーシャ。こっちはチェロイ」
 仕方なく農夫もぼそぼそ名乗った。「私はハンネリ村のナカタ」。
 それを聞くと呪い師はうなずき、
「私はゴイサギと申します」
 そう言うなり、両手を高く上げ、呪いを掛け、あっという間に五位鷺ごいさぎになって飛んで行ってしまった。
「これはこれは」農夫は驚いてつぶやいた。一堂は矢切族も含め、呪い師の魔法に感心した。
 舟が出た。
 農夫は一晩で見た不思議な事を思い返した。特に呪い師がサギになった所など、いい土産話になったと喜んだ。が、姪にこんな話をすると自分も旅をすると言い出しそうなので、結局誰にも話すまいと決めた。
 玄族は流れる川面に予言を見た。
「私たちはまた会う事になるだろう」
 しかし、それはまた別のお話。


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