「親に期待しても仕方がない」
「親」
生きる中で、一番のしがらみだと思っている。
良い関係の人もいるだろう。
たが、実はそうでないほうが多いと思う。
ただ、言えないだけだ。
自分の親がひどい、と。
親のことをひどいと言うことがよくない、という暗黙のなにかの圧を感じる。
私は尊敬する人と聞かれて「親」と言ったことはない。
そんな関係ではなかった。
今は、たくさんのことに気づいたので考え方は変わっているが、かつては本当に両親を軽蔑していた。
尊敬する人は「親」という人に対して、心の中でツバをはいていた。妬みと嫉妬、羨望である。
そう思う環境だったということだ。
ひどい親にあたるケースは必ずある。
ひどいの形は様々であるが。
毒親という言葉があるのだから一定数はいるだろう。
ひどい親を持った方に言いたい。
言ったらいい。
自分は最低の親に育てられたと。
なぜなら、本当のことだからだ。
親というのは、親になっていくことだと思う。
最初から親である人はいない。
子を育てながら、親として成長していくのだ。
もちろん、親の在り方も様々であるが、子を持ったならば子が成長するための食べ物、衣服は必要である。
しつけという名の暴力、放置。
逆に過剰なまでの過保護。
すべて、子をダメにしてしまう。
子である、あなたに言いたい。
声をあげるがいい。
声をあげない限り、介入できないからだ。
そして、あなたが悪いわけではない。
親が悪いのだ。
親は、治療を受けるレベルである。
心が病んでいるのだ。
自らを顧みることをせずに生きてきた。
その傷や憤りを子であるあなたにぶつけているだけだ。
けっして、自分を責めてはならない。
悪いのは親である。
その姿を客観的に見よ。
おかしいと思うはずだ。
もう一度言う。
あなたは悪くない。
親を切り離すことも学びの一つである。
客観的に判断する目を持つことだ。
そして、親に期待しないことをすすめる。
親としての学びを放棄した人間に期待などしても仕方がない。
強くなれ。
自分のことは自分で守るしかない。
自分は自分を裏切らない。
生きるための、経験と智慧を得るのだ。
未来は決まっていない。
自分で決めるのだ。
今の状態では希望が持てないかもしれない。
でも先はわからない。
そう強く思い生きるしかない。
今をコツコツと積んでいくしかないのだ。
望む未来のために。