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「容姿に対するコンプレックス」

自分の容姿にコンプレックスがある人は、多いのではないだろうか。

私もある。
自分の顔が嫌いだったし、
背が高いのも嫌だった。
顔のパーツも手の大きさも、髪がくせ毛なのも。
遺伝によるそばかす体質も。
あげたらきりがない。

こうだったらいいな、こうだったらよかったのに。
なんでこうなのか。
悩んだりした。

今は克服している。

一つ一つ見ていった。

その中の一つ。
手が大きいことが気になったのには理由があった。
自分では手が大きいと思っていなかった。
小学生の時、同級生の男子が「手がでかい」、
と私に向かって言ったのだ。 
周りを見ると、たしかに私の手は大きかった。
言い方を変えれば、指が長いということなのだが、

「でかい」
この言葉に反応した。
「大きい」だったら気にしなかったであろう。

その子が悪いわけではない。
小学生なんてそんなものだ。
そのぐらいの時は、女子のほうが大きいというのもある。

そこから手を見るたびに落ち込む。
そして、手首から切り落としたいと思ったことも。
今思えば、大した事ではないし、なんでそんなことで、と思うが、背も高かった私は、「でかい」にすごく反応したのだ。
きっかけは本当に些細なこと。

そこから私がしたことは、
目線を手先に向けたらどうだろう。
どうしたら全体に目が行かず、誤魔化せるか。
自分の手とのバランスのいい爪の長さを試行錯誤。
お手入れをなどを続けた。
大人になるに従い、褒められることが多くなった。

子供の時と大人になったときの周りの見方は違ったのだ。男の子の発言は、単に周りや自分と比べたそのままを言っただけ。

背の高さも周りも大きくなるにつれ、少しずつ薄れていく。

そんな具合に、一つ一つ、コンプレックスに思うことを見ていった。
見ていくうちに気づいた。

コンプレックスとは誰かと比べること。
誰かに言われたこと。
本当に些細な何か。
そんなことから始まるように思う。

人と違うものを、人は指摘するからだ。
指摘されたことで、周りと比べ、違うことが悪いように思う。

だが、視点を変えて見れば、コンプレックスに思うことは、その他大勢の人たちと違うということ。
自分だけが持ってる個性である。

一つ一つ向き合うことで、マイナスに思っていたことをプラスにしていく。

コンプレックスがあるからこそ、努力し、越えようとする。
超えた先に待っているものは、自信である。

私なんて、から
私でいい、
ではない、私がいい。
に変わる。

等身大の自分を認めることで、はじめてコンプレックスだと思っていたものが輝いてくる。

自分の輝きを見つけてもらいたい。

あなたが持っているものは、神からのギフトである。
愛されている証であり、財産である。






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