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「ジャッジしない」
他人のことはわからない。
自分が見たもの、感じたものがすべてだ。
それが正解かもわからない。
そもそも正解があるのかもわからない。
かつては、自分の見ている青色が、他人の見ている青色と同じだと思っていた。
青は私が思う青だと。
今は違う。それぞれの見る青があるのだろう。
そう考えれば、話していて、あれ?っと思うことも理解できる。
皆、自分が見ているものを話しているから、そこにあれ?があってもおかしくない。
問題があるとすれば、自分の青が絶対だと思ってしまうことなのかもしれない。
肯定はできないかもしれない。
なぜなら、自分の見てる青があるから。
でも、否定もできないと思う。
他人の見る青はその人の中で存在するのだから。
ただ、自分の中にはないだけ。
ある時から、そう思うようになった。
結局は自分の見たもの、感じたもの、経験したものしかわからない。
近いものは共感できるけど、わからないものはわからないのである。
でも、否定は違うと思っている。
理解はできないけど、ないとは限らない。
そう思うと、人に対しての否定が少なくなってくる。
だって、わからない。
もしかしたら、この先同じものをみないとも限らないし、同じような経験をするかもしれない。
認められなくてもいいと思う。
そして、否定もする必要がないのではないか?と思う。
これも、考え方はそれぞれ違うだろう。
共感できると思う人、いや違うよと思う人。
とちらでもいいと思う。
ただ、決めつけは視野を狭くしてしまう。
認められないけど、否定もしない。
私は、こんな感じが楽だなあと感じる。
ジャッジしない。
人との関係も自分との関係もバランスがとれる方法の一つかもしれない。