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「蒔萌ゝ子」が発信していること
まず、蒔萌ゝ子が発信していることは、体験、経験、知識、体感、感覚、すべてが自分の中にある経験済みのことである。
誰かに聞いた、誰かが言っていたことではない。
自分の持って生まれたもの、特性も含む実体験である。
発信するのに人としての私には勇気が必要であった。
以前に書いているが、子供の頃のこの衝撃があったからである。
昨日この記事をあげた。
実は、この新しい取り組みの前に、くどうみちしさんより再確認された。
発信するということは、もう一度たどった道を見直すことでもある。
その際に傷を思い出し、ザワザワしたりすることもある。そういう人もいる。
要するに、大丈夫ですか?という確認である。
人の痛みを理解できる優しい人である。
大丈夫と答える。
だが、実はその後に少しざわつく。
その原因はわかっている。
もう一度、その感情を味わった。
だが、大丈夫だった。
そう、私はその時の自分の感情も、ぶつけてきた人たちの感情もすでに理解しているからである。
すべて、自分の中にもあるからだ。
そして、解放された。
私が持っていた最大のブロックである、
「出る杭は打たれる」
この先、打つ人はいるであろう。
当然である。考え方は人それぞれだ。
もちろん、不安も恐怖もある。
でも、私は知っている。
打つ人の気持ちを。私も持っているからだ。
杭は出続ける。
そして、その杭を本当に打てる人はいない。
なぜなら、杭を打つ人の気持ちもその杭にはあるからだ。
杭を打つことは、自分自身を打つことになる。
だから、打つことはできない。
杭は出続ける。全てを飲み込みながら。
そして、形は変わるかもしれないが、今後も発信は続くであろう。
自分の経験は、自分のためのものではないからだ。
すべては一つであり、つながっている。
肉体がくちたからとて、終わることはないのだから。