トイレで並ばされてる時に冷静に考えたりできません

便所待ち時間の男女差が、一部で話題になっている。
女性便所に並ぶ時間の方が長いと言われているため、女性の便所面積及び便器数を増やすべきという意見がある。

結論としては自分も賛同する。
しかし統計や性差など様々な要素が関わるため、この種の議論は錯綜し易い。そのため論点を整理しつつ、便所の男女差を考察したい。
なお本文では議論の簡便化のため、男性便所と女性便所との対比を主とし、「誰でもトイレ」は埒外としておく。

まず第一に、「待ち時間を男女で同程度に」が上位の目的であることを確認する。

便所の総面積を拡大できれば結構だが、それは容易ではない。そのため、「一方の面積を広げるためには他方の面積を狭めなければならない」という、一得一失すなわちトレードオフ・分捕り合戦の構図となる。
したがって、自身らの立場を擁護するために、邪推や道徳論も混淆した言い合いにもなり易い。

更には、「もう何十分も待たされてる」時の感情を思い起こしながらの論争ともなるため、「直前に入ったあいつは個室で何をやってるのか」「なぜ今日はこんなに子連れが多く、かつ全員がグズってるのか」と同性同士での疑念や憤慨も避け難い。

また、そもそもの平等の定義が論者(というか男女)で異なる。
「男女は同数である以上、それぞれに同じ面積を与え、その陣地の中で、小便器や洗面所の数量や大きさ等を男女が別々に工夫すればよい」と考える者もいる。

こうした機会平等的な発想は、社会のいくつかの分野でも用いられており、一理はあると認められる。
これとは別に、平均的な待ち時間を男女で同様にするべきという、結果平等的な要請もある。

ただこの議論の前提として、(公衆便所を除き)基本的には民間施設に係る問題であることは把握しておきたい。
厚労省令である労働安全衛生規則などでいくつかの基準は明示されているが、民間事業者の裁量によるところも大きい。男女共用の大便器が一つだけの店もあるし、利用者が片性に偏っているのなら便所面積もそれに応じて当然だろう。

その上で民間事業者としては、「他施設と比べてあまり狭くない程度で」「各便所の合計待ち時間が最小となる」ようにしたい。
便所を置かなければ売り場を広げられるとは言え、「あの店は便所がない」という情報は集客上で不利に働く。そして便所を置くのなら、回転効率を高くしたい。
その結果、(男女の訪問数が同程度なら)「平均的な並び時間が男女で同程度」な面積比が最適解となる。

そもそも我々が求める平等ないし公正とは、何と何を比べて言うのだろうか。
便所に関しては、特に男女の面積比が主題となっている以上、まずは男性と女性とで比較する発想は理解できる。
しかし前記のように、男女比以前に、商業上の有利不利に照らし合わせて、設置の有無や総面積の大小を計量する見方もある。

更に、便所の必要性も個人差が大きい。
役所にせよ公立の文化施設にせよ、面積が広めに確保されている建物も多い。そこで、外出時はなるべく便所を使わない習性の者もいれば、身体的性質から頻繁に用を足さなければならない者もいる。
そのため公的機関及びそれが定める設置基準においては、「便所をあまり使わない人達と、多く使う人たち」との間で、中央値ないし平均値を算出し、総面積を定める。

要するに、便所設置に当たっては諸々の要素が吟味されている。男女の対比のみが判断材料ではない。
いずれにしても、公衆衛生において機会平等を単純に当て嵌めるのは適切でない。

以上、男女で同程度にするべきなのは、単なる便所面積でなく待ち時間であることを論述した。
次に第二として、妥当な面積比の算定方法を考量する。
この点、国際基準(男性と女性で1対3)をそのまま受け入れるのも穏当だとは思う。

ただし便所利用の習慣が国毎に多少異なるため、日本が独自に基準を案出してもよい。
「洋服か和服(今はほぼいないが)か」でも用を足す時間は変わるし、どちらの性に子連れが多いかも大きな要因となる。

この他、「個室で化粧やスマホに勤しむ女性が多いから、無駄に混雑する」と思っている者も一定数いる。そのためこうした認識を参考にしつつ検討する意義もあるのかも知れない。

面積比の吟味にあたっては、実験施設にて様々な男女で実際に大小の便を足してもらい(言うまでもなく、ガラス張りにする必要はない)、男女それぞれの平均時間を計測する手法がまず考えられる。

ただし子連れや生理、障害等の要因も男女別に加味しなければならない。
そして最終的に「理論上の男女別使用時間」から面積比を計上する。

こうして改変された面積比でもなお、待ち時間が偏るようなら、実験時の想定とは別の理由が生じているとの推量もできる。
それが「個室でスマホなど見ていたから」であれば、確かに自業自得以外の何物でもない。そんなことまで是正してあげようとするのは、「目的外使用をしていない方の性が割を食う」ことになってしまう。

だが、混雑理由の特定は難しい。
先述の実験が粗雑だったのかも知れず、あるいは洗面所やおむつ交換台の大きさ等が意外と関係していたのかも知れない。

そのため、先述の実験施設云々でなく、全国の様々な施設を調査し、実際の男女別待ち時間から面積比を求める方途もある。理論値から演繹するよりも、現実との齟齬は少ない。
勿論、「個室内でスマホをいじっているかも知れない」現実も込みで。

現実的に「個室スマホ」を探知できない以上、その現実に合わせた設計を採らざるを得ないのかも知れない。
先に書いた倫理的な不信は残るが、それは便所設計とは別の領域で対処するしかないように思われる。

ただ個人的には、なぜそこまでスマホ・化粧の容疑に拘るかが解せない。
無論男性でも女性でも、長く目的外で居座る輩はいるだろうし、女性の個室が多い分、その蓋然性が大きくなるという理屈は理解できる。
しかしそれは、女性の平均待ち時間を有意に押し上げ、正当な面積比計算を歪めるほどに多いのだろうか。

個室の半数が開かずの間なのであれば、確かにけしからんと思う。男性側の面積を奪って女性個室を二つ増やしたところで、混雑解消に貢献するのがそのうち半分だけならすごく理不尽な話だろう。
けれども男性でも女性でも、自身の後ろも長く並んでいるのに、平然とスマホ等を触り続ける悪党がそこまでありふれているのだろうか。あるいは女性の方が道徳的に劣ると考えているのだろうか。

冒頭で触れた通り、見えない密室事情と併せて、先の人間への「動作が遅いだの子連れだの」という苛立ちから、憶測・邪推が増幅しているだけにも感じる。

この他、女性用小便器が提案されている。
実験的に設置してみるのも結構だが、幼少期から慣らされていないと定着し難いだろう。
それ以前に、効率論とは別に、羞恥心も関わる習慣や通念は変え難いことにも留意しなければならない。
仮に一切の感情を排して最短を目指すなら、男女に分けない構造にすれば、混雑の男女差そのものがなくなるが、これが現実的でないことは多弁するまでもない。

最後の第三に、社会的な施設・設備の考え方を述べる。
こうした改変議論では、説得力があろうとなかろうと、前記の女性用小便器や個室スマホ疑惑も含め、やらない理由はいくらでも挙げられる。

ただ逆に問うと、どういう要件ならば、便所に限らず様々な社会的設備の改変を容認するのだろうか。
電車・バスの優先座席にせよ建物のバリアフリーにせよ、今もって完璧な制度・運用ではなく、かつ対象外の者達に大小の不便を被らせてもいる。その点ではこれらの施策とて、反対意見は今も尽きないだろう。

しかしながら、社会情勢が変わっていけば、施設・設備の設計も変えるべきとは考えないのだろうか。
現状の不公正な構造を含めた既得権益を保守したいわけではないのだろうが、「改変案が最高か否か」でなく「現状と改変案とでどちらがまだマシか」という見方を志向したい。

かつては、女性の、特に子連れの外出が少なかった。
そしてそれ以上に「男は別に困っていないから」という思潮ゆえに、便所面積は男女五分五分で充分過ぎるとされたのだろう。

しかし現代では、混雑の男女差が随所で指摘されている。そうならば、公正な面積比を熟慮した上で改変することが望ましい(ただし、基準改定毎に全国の便所を造り替えるわけにはいかないため、あくまでも新造のものに適用するに限られる)。
なお、こうした発想は、常に一方の性を有利にするわけではない。

最近の男性でも、座らないと小便できない者・子連れの者・女性的又は中性的な衣服を好む者が、しばしば見受けられる。
こうした趨勢が広がれば、今度は男性の待ち時間が長くなり、したがって改めて男女の面積比を見直そうと要求されるだろう。男性の権利意識が強ければ。

そして、ジェンダーフリーなる観念が究極まで推し進められれば、将来的には便所の男女区別自体がなくなっているのかも知れない。
他方でそうした流れにどこかで歯止めが掛かれば、引き続き男女の性差に意味が残り、男性便所と女性便所の仕切りも消えはしない。
けれどもその場合、本文で見た議論の相当部分が、性の異同に基づくやや不毛な思い込みや利害によって混乱している以上、この種の感情的とも言える行き違いもまた健在のままなのだろう。

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