日本人は無宗教でなく、無意識に宗教してるだけ
多くの日本人は、無宗教あるいは宗教心が薄いと自らを定義している。
そのため神道を含め、各宗教の教義などは自身達と関わりのないところで勝手に決まっているものだと認識する者が多い。
本文では神道を題材に、宗教教義のありようについて考察したい。
第一に、祭神を祀る本社と、その祭神を分祀した分社との霊験の違いについて。
政争の末に死に追いやられた菅原道真を怨霊と畏れ、学問の神様ということにして崇める発想自体がとても不思議だが、それはともかく天満大自在天神を祭神として祀る神社はとても多い。
天満に関しては、太宰府天満宮(福岡県)又は北野天満宮(京都府)が総本社とされている。その上で、天満の分霊が祀られている神社が全国各地にある。
そして神道教義では、元の神霊も、分祀された分霊も、「一つの祭神によるそれぞれの神社での表れ」であり、霊験・ご利益・有難さは変わらないとされている。
なおかつ第一義的には神社の権威が祭神の霊験に基づく以上、本社も分社も有難さは同じということになる。
しかしながら、古今の日本人にとってはそうでもないらしい。
同じ祭神を祀る神社でも、歴史・由緒のある方がより強いご利益が授けられる。そう信じて、わざわざ遠出をしてでも伊勢神宮や出雲大社に参拝する。
例えば、ご利益と引き換えにお賽銭として喜捨する1円玉又は1万円札は、全国どこでも全く同じ働きをする。造幣局の近くで使用すればより価額が高まるとかではない。
一方で本霊(と呼ぶかは知らないが)と分霊とでご利益が違うとすれば、それは教義と食い違っているように感じる。
ただ、神道とは無関係に、古いもの・有名なものに威光が宿ることは、国内外で共通の思潮でもある。
そのため「分霊でも有難さは減じないが、神道教義とは別に、神社そのものの歴史性等に鑑みて、人々が本社の方に参りたがる」という解釈もできなくはない。
しかしこの解釈は、先述までで組み上げた理屈に照らし合わせると、やや説得力に欠ける。
そのため端的に言って、「本霊の方が分霊よりも有難い」と、従来の教義とは異なる想念が民衆の間で醸成されていると捉えるのが妥当と思われる。
そして自分としては、このことはすなわち神道の教義が書き換わったと理解して差し支えないと判断している。
元より神道そのものが、啓典宗教等と大きく異なる。多神教やアニミズムとも分類されるが、教祖や正典は確認されておらず、人々の自然発生的な習俗がかたちづくられたものと説明されている。
したがって教義もまた一律ではなく、地域毎・時代毎で変わる人々の観念に応じて教義もまた違ってくると見るべきだろう。
そもそも、明確に正典や司祭などが在る宗教でも、各々の信者が正統とする教義が一様ではなく、それゆえに複数宗派への分裂(カトリック派とプロテスタント派、スンニ派とシーア派など)すらあったことも我々は学習している。
つまり冒頭の記述とは裏腹に、宗教教義はどこかにある正典やそれを解釈する識者によってのみ定まるのではなく、その宗教を信じる人々の思いによって決まっていくものだと自分は考える(そして前記の通り、神道など自然発生的な宗教は、特に教義の柔軟性が高い)。
第二に、神社参拝時の所作について。
宗教らしく、挙動が細かく規定されている一方で、近年に造られた慣習が多いとの指摘もある。
二礼二拍手一礼の他、鳥居の外での一礼が「中高運動部で、グラウンドに一礼する謎儀式」からの模倣なのではとか、参道の端を歩くのは単なる混雑対応ではとか疑われたりもする。
儀式の来歴を把握するためにも、その作法がいつから定着したのかを調べ、ある種の幻想を解体することは無意味ではないと自分も思う。
また神道における所作は地域毎の多様性があっただろうに、現代の情報化社会の影響により全国で画一的な振る舞いが正解とされ、それ以外は異端どころか礼儀知らずと断じられるのも理不尽だと考える。
他方で、経緯はどうあれ、特異な理由で何らかの挙動がまるで長年の習慣のように受け入れられることは、近代以前にもあった。
そしてその行為が通例に則ったものだと人々が一旦思い込んでしまったのなら、もうそれが正法として差し支えないだろう。
いずれにしても、その儀式や礼法が、近年に造られたのか、人知れず古代から続いてきたのかは最重要の問題ではない。
自らの宗教心を最もよく発露できるあり方ならばそれが至高となる。少なくとも、周囲の視線を気にして、複雑なパントマイムのように手足の動きを正しくなぞることだけを考えていては、何のための参拝なのか分からなくなる。
第三に、神道ないし神社参拝の機能拡張について。
祈願・追悼・懺悔・誓約など、信仰と深い結び付きのある情動は様々ある。
極端に言えば、人間の思考が全て合理的な要素でのみ構成されているわけではなく、超越的又は感情的な要素も混じらざるを得ない以上、全ての行為は広義の宗教性を帯びる。
前記を踏まえると、日常的にとは言わずとも、人生の節目節目で、信仰心の整頓を既存の宗教施設に託すことは不自然ではない。
具体的には、出生から受験・卒業や、就労や結婚、そして死亡まで。
これらのうち、婚儀はキリスト教式で、葬儀は仏教式で執り行われることが多い。
その一方で、どちらも神道形式でおこなう者もいる。しかし神前婚は「近代以降に発明された儀式」であり、神葬祭は「神道教義とも日本人的死生観とも親和性が薄い」と疑義を呈されてもいる。
多くの人にとって馴染みがなく、又は浅い歴史しかない宗教的儀式が正統性を問われるのは当然であり、今後も不断に内実の趣向や所作を、神道という枠組み及び儀式の目的を熟慮しながら、工夫・改良していくべきだろう。
ただし、先に挙げた様々な節目の儀式を、自身が主に信仰している宗教で実施しようという試み自体は、静かに見守っておけばよいと自分は考える。
通俗的な日本人らしく、産まれたら神主に祝ってもらい、結婚したら神父の前で誓約し、死んだら仏僧に弔ってもらうという融通無碍も悪いことではない。
しかし神道にせよ仏教にせよ、局面ごとの使い分けを良しとせず、一つの宗教に殉じようとする心性は、健全とまで言い切れるかはともかく、少なくとも求道的だとは言える。
いずれにしても、いくつかの宗教を便宜的に使い分けることも、いくつかの宗教的儀式を便宜的に神道に習合させることも、日本人の気質と合致している。
これらと関連して、靖国神社への参拝もまた、目的の変容又は拡張が観察される。
参拝した政治家が、「戦死者を追悼し、平和への思いを新たにした」等と述べることは多い。
しかし神社は、祭神を顕彰し、そのご利益を参拝者(が望む者)に顕すものだと知られている。寺や墓のように、追悼や冥福のためではない。
天満宮に赴く際は、道真の冥福でなく、参拝者自身(又は参拝者の子女)が、受験合格などにあやかれるために参拝する。
もちろん天満宮だろうが靖国神社だろうが、自身の私的な利益のためにご利益を求めて差し支えない。ただ敢えて神社の性格に鑑みるのなら、靖国の場合は国家の安寧や困難な仕事の完遂を祈願する方が、霊験があらたかな気はする。
前記は通例的な神道教義に基づき、参拝のありようを記述したものとなる。
ただしこの点についてもまた、教義を柔軟に扱ってもいいのではないだろうか。
靖国神社に合祀された御霊を想って、追悼するのは何のためだろうか。
数ある死者のうちから、わざわざ近代以降における我が国の戦死者を対象に追悼するのは、その死に釣り合うだけの何かを参拝者が希求しているからではないのか。
敢えてくどくどしく表現するのなら、「顕彰に値する英霊を追悼し、もって将兵達が実現したかった国家の平安を祈願している」ことになる。すなわちこれは、神社参拝における「顕彰と祈願」の範疇を超えるものではなく、従前の教義に従っている。
その上で個人的な見解を言うと、祭神となった人間に対する追悼や懺悔の目的で参拝しても構わないのではないかと考えている。
自身の種々の宗教的心情を神道の所作で表し、それと適合するように教義の改定を請求するのは、涜神で背信的な行為でなく、むしろ敬虔で篤信的ではないだろうか。
この他、評論家の兵頭二十八は、靖国神社の祭神を「特定機関が認定した戦死者名簿(霊璽簿)に記載された者でなく、抽象的に観念された『国のために戦死した人々』」とするべきだと主張している。
霊璽簿方式では、姓すら当時持っていなかった、戊辰戦争の農民従兵等が漏れてしまう。その一方で、嫁姑問題に悩んで自殺した兵が、「戦死扱いにしてやれば遺族に多少の扶助料を支給できる」と配慮した上官の計らいで合祀される例もあった。
こうした主張も、神道あるいは神社が準えている教義に対する問題提起と言えよう。
以上、宗教教義のありようについて考察した。
このように振り返ると、日本人は特定宗教への拘りが薄いだけで、日常の随所に宗教ないし信仰が現れていると言える。
そうであるならば、一つの神にのめりこむ必要はないけれども、そもそも信仰とは何かを探求する宗教学のような知見は、日本人にとっても大いに有用だと自分は思う。