局所的な「さん付け」義務化で部下の負担がまた増える

職階の優劣は、第一義的には業務上の権限と責任を明確にするためにある。しかしそれに留まらず、事業に関する内部の意見交換段階や、更には業務から離れた人間関係にまで、肩書きが影響する場合が極めて多い。
これは何も日本に特有の文化というわけでもなく、個人主義だとか公私分離だとかで言い表されがちなアメリカも含め、ほぼ全ての国において大なり小なり観察される。

こうした組織風土は、上司に忖度した意見しか出さなかったり不都合な事実が報告されなかったり等、組織体として好ましくない現象を引き起こし易い。
更には部下へのハラスメントや、時間外や休日でも上司に付き合わされるなど、業務執行とはまた別の問題も伴い得る。

これらの課題に対応するべく、経営者や管理職は、繁文縟礼・慇懃無礼・虚礼虚飾の撲滅を謳うことも多い。
具体的には、飲み会を減らして昼食会を定例化するとか、顔の見える関係を築こうと在宅勤務を廃止して部内会議を増やすとか、部下が反対意見を試みる気力さえ萎えさせるような戯画的な方針が示される場合もある。

しばしば話題になる、「上司を肩書きで呼ばず、一般社員と横並びのように『さん付け』で呼ぶように改めること」も、前記と大差ない場合が多いと自分は思う。
そもそもの前提として、「発案者であるその上司だけを『さん付け』すればいいのか、他の上司全員もそうするのか」で大きく異なる。

後者ならばまだマシかも知れない。「敬遠」という字句の通り、こちらから距離感を詰める気がなかったのに「さん付け」が求められるしんどさも見逃せないが、ひとまず「全員を苗字で呼べばよい」のなら覚えることは少ない。

しかし前者の場合、「肩書きで呼ぶべき上司とさん付けで呼ぶべき上司」とが混在することになる。
元より会議の開始時間や文字の大きさなど、上司毎に異なる好き嫌いを部下は覚えている必要がある。それに加えて、「○○部長をさん付けで、××課長を肩書きで、それぞれ呼ばないと激ギレされる」というしょうもないことを新たに記憶しなければならない。

組織風土の抜本的・全般的な改善は極めて難しい。最上位者本人が傑物でも、構成員が多い組織ほど幹部の何人かがその方針を過大又は過少に受け取って、改善しないどころか却って改悪に向かうことすら少なくない。
極論を言えば、もしも本当に全般的な風土改革が達成できたのなら、それ以外の全ては特に注力せずとも様々な組織力の発露で大抵は上手くいくようになる、とすら言える。

それほどに組織のあり方に向き合うことは容易ならざるため、要するにほとんどの具体的方途はあまり効果がないことになる。
だからと言って現状のまま放置で良しと構えると、腐敗が進行することが目に見えているため、効果薄と判っていても何らかの施策は考えなければならない、という葛藤がある。

恐らくは、全ての部署で一律的・具体的な変更策を適用させるやり方はもう効果がない。
個人的には、「望ましい対話例、望ましくない指導例」として分かり易い実例をSNSからでも漫画からでも多く収集し、それを読み取った幹部らに自身で改善のための具体策を立案・実践させる方がまだ有効に思える――それでも的外れな方向へ向かう者は絶えないだろうが。

少なくとも、先に挙げた「局所的な『さん付け』」などは、上司自身の「やってる感」を満たすだけで、実際に部下の負担がどう増減するかをおよそ想像すらしない悪例と言える。
この点で大切なのは、肩書き呼びから「さん付け」に変えて見せかけの気さくさを醸し出すことではない。別に「○○部長」呼びのままでもよいから、「本当にそんなやり方で部下が意見提起し易い環境になると思ってらっしゃいますか」と言われるような、意見提起をし易い環境づくりに尽きる。

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