石和温泉にて
このところやたらと忙しかったので、たまには温泉でもと思い立ち、週末、石和温泉に出掛けた。
新宿から特急「かいじ」で山梨方面へ向かう。
出掛けるまではいつも通りバタバタだが、一旦電車に乗り込むと、車内はきわめて快適で、シートもゆったり、優雅な気分であっという間に石和温泉駅に着いた。
在来線の古いボックス席も、それはそれで風情があるのだが、今の特急車両は何しろ速くて快適で、ほぼストレスがない。
さて、旅の目的の一つは、「甲州ほうとう小作」で「かぼちゃほうとう」を食べることだ。
以前食べた時に改めてその美味さに衝撃を受けたが、それから10年近く経っているので、今回は是非立ち寄りたいと思っていた。
「小作」は山梨県内にいくつか店舗があるが、石和温泉にもあることはあらかじめリサーチ済み。駅前の無料足湯で脚を温め、万全の体制で「小作」に向かった。
関東圏以外の人には、石和温泉も小作も馴染みがないだろうが、関東、もとい山梨では超メジャーである。
ちなみに、ぼくは神奈川出身だが、山梨の公立大学に下宿から通っていたので、その貧乏学生時代、いつか石和温泉に泊まって温泉三昧でボーっと過ごしたい、とか、いつか豚肉ほうとう(かぼちゃほうとうのやや豪華版)を存分に食べてやるぜ、といったひそかな野望を抱いていたのだ。
その長年の野望がついに成就する時が来た。
野望にしてはスケールが小さ過ぎるだろ、といった批判は一切受け付けない。
ということで、小作を目指して歩いていたところ、橋の途中に「笛吹権三郎の像」なるものがあった。
山梨には笛吹川という有名な川があって、笛吹市という名前の市もある。ここ石和温泉も笛吹市にあるのだ。
その由来となったのがこの笛吹権三郎で、ぼくはそれにまつわる逸話は知らなかったが、おそらく、むかし笛の上手い少年がいて、ひとたび笛を吹けば人や動物や木々までも魅了してしまうほどの名人で、肥沃な土地には稲穂が実り、人々は嬉しさで踊り出し、村人たちはみんな幸せに…みたいな話かなあ、と漠然と想像していた。
どれどれと像の脇の解説文を読んでみた。
要約すると、
母親と二人暮らしの笛の上手な権三郎という孝行息子が、ある晩豪雨で氾濫した川に母子共に呑み込まれてしまい、息子は九死に一生を得たが、母親は権三郎の名を呼びながら流されていってしまった。以来権三郎は、母の好きだった曲を笛で吹きながら毎晩川で母親を探していたが、あるとき川の深みで足を滑らしてそのまま帰らぬ人となった。それ以来、夜になるとこの川からは美しい笛の音が聞こえてくるようになり、村人はいつしか笛吹川と呼ぶようになったと。
……
うーん、いくらなんでも悲しすぎないか?このストーリー。
権三郎まで亡くなってしまうとは、何とも救いがないというか、せめて母親探すの手伝ってやれよ、村人ー。
ちょっと泣きそうにすらなったぼくは、もしかしたら伝説とはいえ実話かもしれんと思い、笛吹権三郎親子に手を合わせて来世での幸せを祈った。
ということで、思いがけず敬虔な気持になってしまったが、何とか気持ちを切り替えて再びかぼちゃほうとうへの情熱を思い起こし、橋を渡って小作へと向かった。
続く(多分)