犬とぼくとのこと
小さい頃は犬が怖かった。
犬がいる家の前の道は通れないので、行き先のルートに入っているときは、わざわざ迂回していた。
ぼくは団地に住んでいて、小学校までの道は団地を貫く広い一本道だったので、普段の通学には心配はなかった。
問題は、一戸建てが立ち並ぶ団地とは別のエリアで、ここには犬を飼っている家が何軒かあった。
数十年前、ぼくが小学生のころは、犬は基本的に庭の犬小屋にいるもので、今のようなトイプードルとかヨークシャーテリアのような室内犬は存在しなかった(と思う。どこかにはいたのだろうけど、少なくとも東京の郊外の、ごく普通の住宅地にはあまりいなかった)。
一戸建てに住んでいる友達の家に行くとき、あるいは住宅地の中の駄菓子屋に行くときなどは、犬がいる家の前を通らなくてはならない。
一人の時は迂回していたし、弟と一緒のときには「何でわざわざ遠回りするの?」という当然の問いかけに対して、「ちょっとこっちから行きたい気分なんだよな」などという小学生らしくないセリフをつぶやきつつ、やはり迂回していた。(ちなみに、後年弟と話したときに、ぼくの真の迂回理由はあっさりばれていたことが分かった。心優しい弟は、兄の小さなプライドを保つために「そうかー」などと頷いてくれていたのだ。)
ぼくの犬への恐怖感は、最初にその家の前を通ったときに全身に刻み付けられた。
勇気を振り絞って、平気なふりをして歩いていく。
犬はうぅ〜という低い唸り声をあげている。
緊張してそうっと歩きながら、意外と大丈夫かもしれないと思った瞬間、わうわうわうわう!と地響きのような大音響の吠え声と、鉄製の庭の柵に乗り出して前脚で叩くガシャガシャガシャ!という音が重なって、恐怖と焦りでパニックになる。
吠え声が一息ついたタイミングで我に返り、急いでその場を駆け出して、吠え声が遠くなるまでやみくもに走り続けた。
この出来事が脳裏に焼き付いた恐怖体験となって、以来、犬がいる家の前は通れなくなってしまったのだ。
それにしても、当時の犬は、大抵耳が垂れていて、黒っぽくて、毛がなくピカピカしている印象だったが、何の犬種だったのだろう?
ビーグルか、土佐犬か、はたまたドーベルマンか?
何しろ恐怖でまともに見られなかったので、姿形がよく思い出せない。
社会人になって数年後、父が亡くなって、母と姉、弟と4人で横浜のマンションで暮らしている時期があった。
ある日、母と姉が外出先から戻ったとき、小さなポメラニアンの赤ちゃんを連れて帰ってきた。
モモコと名付けられたその子犬は、ポメラニアンには比較的多いオレンジ色の子で、目がぱっちりして口は小さく、三角の耳がバランス良く立っていて、控えめに言っても美形で上品で可愛かった。
ぼくはすっかり夢中になって、休日にはモモコと近所を散歩したり、臨海公園に出掛けて芝生を駆け回ったり、部屋でじゃれあったりして遊んだ。
子どもの時の記憶で、犬はやたらと吠えたり咬んだりするものだと思っていたけど、きちんとしつければ、少なくとも人間を咬むことはないことが分かった。
何より、小さくて可愛いので、当たり前だが怖くはなく、幼少期の記憶の犬と同族だとはとても思えなかった。
モモコはちょっと神経質で、よく吠えたり唸ったりしていたけれど、反面すごく寂しがり屋で、家族の皆と同じことをしたがった。
平日の朝、皆が出かける準備で洗面所や食堂などをバタバタ動いていると、モモコも一緒に駆け回って忙しそうにしていた。
彼女は家族のアイドルだったが、姉が結婚するときに、一緒に新居に引っ越していった。
また数年後、ぼくは横浜の郊外に一戸建てを買って、やはり小さなポメラニアンを家に迎えた。
オスだったので太郎と名付けたら、しばらくしてなんとメスだったことが分かった。
ペットショップによれば、生後ある時期までは性別が判別しにくいとのことだったが、とにかく女の子が太郎というのはまずかろうということで、改めてななと名付けた。
ななはものすごく元気で腕白な白い子で、家の中のそこら中を駆け回り、ベッドやソファでぼくがくつろいでいると、駆け上ってきて顔を舐め回した。
最初の頃は笑いながら手で押さえたり、掴んでそっと下ろしたりしていたが、全くやめる気配もなく延々と駆け上がってきて舐め回すので、ぼくはいつしかこの事態を受け入れ、無表情で微動だにせず、甘んじてこの舐め回しを受けることにした。
これが無我の境地か、などと思っていたが、のちにその様子が非常にシュールだと姉に言われた。
ななは長く家族に元気を与え続けてくれた。
のちにガンを患ったが手術で一命を取り留め、それから数年間、前ほど活発には動けなくなってしまったけれど、いつもぼくたちと一緒にいてくれて、最後はぼくの部屋で亡くなった。
ぼくは声をあげて泣いた。
それから1年後、当時ぼくは晴海で母と二人で暮らしていたが、お台場のペットショップに母と立ち寄ったとき、ななによく似た白い子を見つけた。
そのお店では、7〜8頭の子犬達を8畳程度のスペースで自由に遊ばせていて、客がその様子を見られるようになっていた。
その子はおとなしくオモチャで遊んでいたが、他の元気な子達が追いかけっこで勢い余ってその子を踏んづけていっても、特に怒るでも怯えるでもなく、されるがままでオモチャを噛むのに専念していた。
ぼくたちはその女の子を家に迎えて、そらと名付けた。
そらはとても賢い子で、常にぼくたち人間が何をしているかを静かに観察しているような子だった。
ぼくが帰宅しても、ななのようにダッシュで出迎えには来ず、部屋の奥から、ああ帰ってきたのね、というような眼差しを投げかけるのが常だったが、疲れたぼくがベッドに寝転ぶと、おもむろに飛び上がってきて、ぼくの手を舐めたり、前脚でつついたりして寄り添ってくれた。
そらは散歩にもあまり行きたがらず、家でことさらはしゃぐこともなく、何というか行動がおよそ犬らしくなく、どちらかというと人間に近かった。
基本的に好きなものしか食べないし、たまにじゃれたり遊んだりはするが、割とすぐに飽きてしまう。
また唸ったり威嚇したりすることは全くなく、散歩で他の犬に吠えられても何事も無かったようにやや早足で通り過ぎ、家でも常にアンニュイな雰囲気を漂わせていた。
ただ、何かして欲しいこと、例えばオモチャがソファの下に入ってしまったので取って、とか、オシッコしたのでシートを取り替えて、といったことがあるときは、毅然として吠えて主張した。
ところが、ぼくたちにはそらが何を要求しているのかがしばしば分からず、大分時間が経ってから、ああ、そういうことか、と気づくことがよくあった。
そんなときは「ごめんね」と謝って手を差し伸べると、そらは「まあいいよ」というように、手に鼻を擦り付けてベロッと舐めてくれた。
過去形で書いたが、そらは今も元気に暮らしていて、今日もぼくの膝の上で一緒にオリンピックを見ている。
審判の不可解な判定に、ぼくたちが文句を言っていると、そらも同意見らしく一緒にワンワンと吠えていた。
数十年を経て、ぼくと犬とは仲間になった。