見出し画像

自分で選ぶということ

ある日、勤めていた会社が倒産した。
間をおかず破産管財人の女性弁護士とそのチームがオフィスに乗り込んできて、役員たちに代わって会社の指揮を取り始めた。
ぼくはその半年前に管理職になっていたので、会社が破産することは知らされていたのだけど、その後どういうことが起こるのかは、さっぱり分かっていなかった。
破産管財人は全社員を集めて説明会を開き、今後のスケジュールの概略と、事業を継承する会社を探していることなどの現況、そして今後ぼくたちに残された選択肢について説明した。

色々と法律的なややこしいことはあったが、簡単にまとめると社員としての選択肢は大きく2つのみで、破産管財人が選定する事業継承会社に勤めるか勤めないか。それだけだった。
勤める場合は現在の給与や地位が保証されるとのことだった。
勤めない場合は、それこそ個人の自由なので、自分で再就職先を探すのもよし、他社から引き合いがあればそちらに行ってもいいし、再出発のための充電期間としてしばらく休養するのもいいかもしれない。
数年前に農業をやりたいと言って辞めていった先輩をなぜか思い出した。

その後、何やかやと残務をこなしているうちに、事業継承会社も決まり、多くの社員はその会社にスライドして勤めるようだった。
給与も保証されるし、今までと同じ仕事なのでノウハウもそのまま活かせる。
かつ周りはほとんど知った顔で、上の役員の顔ぶれが変わるだけだし、オフィス環境は何なら今より良くなるかもしれない。
申し分ない条件と言えるだろう。
ただ、何かが引っ掛かった。

数週間考えた後、事業継承会社に行くことはやめることにした。
思い返してみると、他にやりたいことがあったというよりも、なんか面白くなさそう、というのが一番の理由だったように思う。
経営者が変われば方針も変わるので、新たなやり甲斐が出てくる気もするし、風通しの良い職場にすると経営陣は約束してくれていたので、自分の意見を取り入れてくれる可能性もある。
が、なぜか心が躍ることはなかった。用意された舞台が出来過ぎていて、ちょっと白けた気分になったからかもしれない。
当時ぼくは独身だったので、こんなしょうもないフワッとした理由で重要な選択をすることが出来たのだろう。
ぼくに守るべき家族がいれば、リスクを最小化することをまず考えたと思う。

さらにその後、声を掛けてくれる会社もあったが、結局ぼくは同業種で自分で起業してみることにした。
そうしてみたらと言ってくれる顧客もいたし、何より、ゼロから様々なことを構築するのは楽しそうで、ワクワクすることだったからだ。
破産管財人には何度か説得されて、一時は大分心が揺らいだが(元々大したポリシーがあるわけでもないので)、説得の最後に言われた「あのね、経営のことを何も知らない素人さんが起業したって、絶対うまくいかないよ。私はそうして失敗した例を山ほど見てきてるからね。悪いことは言わないから。」という言葉で、改めて起業を決意した。
その言葉にムッときて反発したわけではなく、「絶対にない」ということは絶対にないだろうと思ったからだった。
弁護士は冷静に損得勘定を示してくれたのだろうが、ぼくはそもそも損得勘定を度外視する変人だったのだろうと思う。

それから20年近くが経った。
ぼくが仲間と立ち上げた会社は、色々と大変なこともあったが、業界では割と大きな規模になって、今も続いている。
一方、あのとき事業継承した会社は、数年でその事業を手放し、雇い入れたスタッフは全員解雇、その後元々の本業も行き詰まって経営破綻したようだ。
だから自分の選択は正しかったなどと言うつもりはさらさらない。
自分で経営して分かったが、こうした明暗を分けるのは本当にちょっとしたことで、タイミングや運や、ふとしたアイデアを思いつくかどうかなど、何かあればどうにでも転びそうな要因も多い。
それに、結果的に仕事がうまくいったことが、人としての幸せとイコールか、というと、そうでもないかなというのが実感だ。
ただ、多分一番大事なのは、「一旦自分で決めたら後悔しないこと」じゃないかと思っている。
適当に選んだとしても、悩みに悩んで選んだとしても、自分で選んだことなら、うまくいかなくても「まあ、しょうがないか」と思えるような気がするから。
だから、あのときのことも、自分で選んだことだけは良かったな、と今でも思っている。
無数の選択肢から無数に選択を続けることで、ぼくたちの人生は成り立っている。
成功も失敗も何もかも織り込んで、今ある自分は自分の選択で作ってきたということが、ぼくにとっては大事なことのように思えるのだ。

#自分で選んでよかったこと

いいなと思ったら応援しよう!