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意識高い系はダサいのか【新卒の頃に知りたかったこと】

こんにちは、こんばんは。緑川です。
昨日の記事を読み返していたらもっと書くべきことがあるなと思い捕捉記事のつもりで書いていきます。
とくに二例目以降のヤベーと思った大人たちの話です。

↑ こちらの記事では社会に出て10数年で出会った人たちから受けたカルチャーショックを紹介しました。


いずれも学生だった頃には想像もしなかった人たちです。

ここで紹介したのはわたし一人が目撃した人たちなので、世の中にはもっと見たことのないびっくりな大人たちがたくさんいることでしょう。

しかも一つの会社で見たわけでは無いのです。
どこにでも変わった人はいると言えるでしょう。

彼らも普通の高校生、大学生だったはずなのです。


このことから考えられるのは、学校は均一化された社会であるという事です。

同じ年齢。
同じ地域で育った、または同程度の学力。
そんな人間が集まります。

全員が月曜から金曜まで同じ時間を共有し、同じ服を着て、同じ授業を受けて、部活をしたり、バイトをしたりするわけです。
そのほとんどが親なり先生なり、バイトなら社員なりの保護者、監督者が付きます。

ある程度の自主性が認められているとはいえ、監視下での活動になります。

人に迷惑をかけそうになれば指導され、常識を外れそうになれば注意しされます。



対して社会には注意する人が居ないのです。
全く居ないわけではありませんが、互いに大人であると認識していると注意ってしにくいのです。

よく耳にする、
「叱ってくれる人がいるのは貴重だぞ」
などという台詞を全肯定するつもりはありません。

詭弁だと思っていました。

しかし、自分の判断で好きなように行動ができる様になると、歯止めが利かなくなるのでしょう。
我が道を突き進みます。

本人なりに空気を読んでいるつもりだと思います。
空気を読むと同時に「ここまでは許容される」というラインの見極めも行います。
ちょっとやり過ぎたかな? と思ったタイミングでも周りが笑って流すと、
「結構平気だな!」
と判断してしまう訳です。

その状態で何十年も我が道を歩き続けて、独自の常識を持って生活をしているのだと思います。

そういう意味では、叱ってくれる人は確かに貴重なのです。

自分が常識人だというつもりはありません。

ただ、社会に出てからあまり何年もする前に、自分が進むべき方向は決めてそちらに向かって歩くように行動した方が良いと思うのです。

社会人は監視がきつくない分、どこまでも怠惰になれます。
怠惰になろうとしなくても、努力したり自制をしなければ、気付かぬうちに非常に怠惰になっていたりします。


それで良いと思うならその道を突き進めます。
その道を選ぶとたいていの場合、他の人より給料は増えないのでそういう覚悟は必要です。
体感的にそういう人は常識をアップグレードせず、陰で非常識者扱いされていることも多いです。

そしてベースやレベルが同じだったはずの学友たちの中で、努力や自制を続けられる人たちに置いて行かれるのです。

性格や体調などで致し方ない場合もあるのですが、あまり味わいたい気持ちではないと思います。

「意識高い系」などと揶揄されますが、意識しなければ周囲の進み続ける人たちの流れから転げ堕ちるのです。

叱る人が居ない状態で、自ら意識をある程度持たなければ生活が苦しくなる。

他の人より給料が上がらない状態で、結婚式を挙げたり、子供が生まれたりと他の人と同じように生活をしていれば当然です。

ライフイベントが無かったとしても、税金も物価も上がり続けるのですから程度は違えど厳しい道と言えるでしょう。


「意識高い系」でなにが悪いのでしょう?
十年後、二十年後の差は歴然です。
家族や自分を守れない状態を自ら作り出すより、ずっと恰好良いと思うのです。

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