アイネクライネナハトムジーク
(画像、動画、記事のリンク等は、全て、公式X、公式Instagramよりお借りしました。
記事内には、映画のネタバレが含まれます。
未見の方は、ご注意!
因みに、映画以外のよもやま話も個人ブログみたいに書いているので、興味がない話はどうぞスルーを💦)
『アイネクライネナハトムジーク』を見た。
(このタイトル、何故、『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』にしなかったんだろう。
絶対読みにくいし、意味も通じにくいのに。
あまりに有名な曲名だから、まぁいいや、にしたのか、わざわざ分かりにくくしたのか、その意図は?
カタカナを分かりにくく並べて、何か呪文的に読んでほしいんだろうか…?
もしかして、モーツァルトの曲名との区別化?
と、あらためて曲名を調べたら、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』になっていた。
なら、『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』
にして区別しても良いのでは。笑
ナハトは夜。ムジークは音楽。だから、くっ付けて表記しようと、離して表記しようと構わないと思うけど。まぁ、それだと区別に気付かない人も沢山いそうだけど💦
ていうか、私はずっと、“ナハト・ムジーク“だと思ってた💦
ナハトムジークなんだね。
ドイツ語とか、すっかり忘れてしまったけど、形容詞と名詞って、活用が変わるんだったっけ?
ナハトって名詞だと思ってたけど。
↑調べました。名詞でした。良かった😂)
🐰🐰🐰
これ、三浦春馬さんの映画だったんだね。
三浦春馬さんと多部未華子さんのW主演。
2019年9月公開だから、1年位前の撮影だったのかな。
仙台駅前の歩道橋。
街頭アンケートをお願いするシーン。
その前に、2人とも歩道橋の上で歌ってるストリートミュージシャンの歌を聴いていて、三浦春馬くん演じる佐藤は、多部未華子さん演じる紗希を意識する。
その歌を聴いてるシーン、10年の時を経て、最後に久留米と美緒で繰り返されていて、2人の未来を予感させている。
素敵なラストシーン💓
…ただ私は、歌を歌っている人は、その10年後も、まだ同じ歌をそこで歌っているのだろうか…と、そこに妙な哀愁を感じてしまった…
せめて、最後の久留米と美緒のシーンは、そのストリートミュージシャンの“新曲“を歌う場面にしてほしかった…💦
原田泰造さん演じる藤間…
奥さんと子供さんに逃げられて、夜、会社でいきなり椅子から落ちて号泣する。
あの号泣シーンを見たときは、藤間が立ち直る展開とは思えなかったよ。
あのまま、再起不能になってしまうのだと思っていた。
佐藤、由美、織田一馬は、大学時代の友人同士。
由美と一馬は夫婦で、出来ちゃった婚。
出来婚の前、佐藤も由美が好きだったらしいことが、あとで描かれる。
この3人の関係性が、最初よく分からなかった。
佐藤と由美は、最初、親戚?か何かかと思っていた。
3人でそうめん食べてるシーンが印象的。
人がそうめんを食べてると、なぜこうも食べたくなるんだろう。
ホテルのディナーを食べ終わった佐藤と紗希。
佐藤は、プロポーズの為の指輪を持っているのだけど、ここでプロポーズはしなかった。
そのまま同棲中の家に帰ってきて、家に入る前、牛乳が切れてたとかの話を遮り?、ようやく指輪を懐から出すタイミングの悪さ。
佐藤は、あそこで渡すのも…と、躊躇していたと話すけど、そんな躊躇をしてしまうのは、断られる可能性が頭のどこかにあったからじゃないの?
ラブラブのときならいざ知らず、先がよく見えなくなってるときに、自信なさげに“10年も付き合ってるから“…という理由でプロポーズされても、一体私はあなたの何?と思ってしまって当たり前。
若いうちなら勢いもあるけど、同棲して10年も経てば、倦怠期にもなるわ💦
長過ぎる春は、絶対良くない💦(←経験者)
(何年も同棲し続けて、結果別れるくらいなら、気軽にさっさと籍入れて、別れたくなったら、同棲解消のように簡単に離婚してもいいんじゃない?
なんてことすら、この年になると頭に浮かんでしまう。
結婚も離婚も、難しく考え過ぎ。
結婚したって、別れる人もいれば、別の人と付き合ってる人もいる。
結婚してなくても、ずっと相手のことだけ愛し続けてる人もいる。
離婚したって、また同じ人と再婚する人もいる。
形式に拘って、その形式に縛られて、家族だの、血の繋がりだのを特別なものとし過ぎてる社会が、そこから逃れたくても逃れられない気持ちや依存する気持ちを生み出して、虐待とかDVとか生み出してるんじゃないか、なんて、個人的意見だけど。
それに、不妊治療とか、相手との婚姻関係みたいなものを提出しなきゃならないんじゃなかったっけ?
結婚はしたくないけど、子供だけ欲しい場合、不妊治療が受けられないとか、補助金が受けられないとか、確か不利益があるんだよね。)
アイスクリームを食べる佐藤と美緒。
佐藤が食べてたのはミント味?
父親(一馬)に不満を持つ美緒に、佐藤は一馬のことを語り出す。
美緒がお腹に出来たとき、一馬は大学をスパッと止めて居酒屋で働き出したのだと。
それを見て、とてもかなわないと思ったのだと。
それを言われちゃ、美緒だって心が動く。
一馬がそうしていなければ、美緒が生まれてたかどうかさえ…?
中々のフォローをした佐藤さん。
このシーン、耳が不自由で虐められてた左端の少年に、ヘビー級チャンピオンになったウィンストン小野(右から2人目)が勇気付ける良いシーンなんだけど、その後、ウィンストン小野が試合に負けたからって、それだけでガッカリして皆がウィンストン小野を責める雰囲気になるのって、どうなの?
ちょっと私には理解しがたいんだけど。
この時の少年の姉(左から2人目)は良かった。
弟の善き理解者。
でも、弟が荒れた原因を、試合に負けたウィンストン小野のせいにするのは絶対違う。
皆から責められ、ガッカリ?幻滅?された小野が再起する姿を描きたかったのかもしれないけど、
憧れの存在が、試合に負けたぐらいで、憧れじゃなくなるのもおかしいし、どうにも思考が我儘勝手でついていけない。
それとも、試合に負けたヒーローは、もうヒーローじゃないって、スポーツ界ではよくあること?
勝たなきゃ叩かれるなんて、絶対おかしい。
ヒーローの栄光は、他人の栄光。
いくら憧れの存在だったからって、自分の希望通りにならなかった他人を叩く資格なんて、誰にもない。
試合に勝ったら、試合に勝っただけのこと。
試合に負けたら、試合に負けただけのこと。
そんなことぐらいで、人の価値は決まらない。
勝てば凄い。負けたら残念。
ただそれだけ。
他人に憧れるのは勝手だけど、憧れじゃなくなったからと叩くのは違う。
試合の成績で態度を変えるのは、砂糖に群がる蟻と同じで、ただの野次馬。
(失礼、言葉が過ぎました。でも撤回もしないけど。こんな話の展開にしたの誰?おかげで、大人になった少年が敗退しそうな小野にエール送るシーン、少年が成長しただけとしか思えず、イマイチ感情移入出来なかった。)
少年、ストリートミュージシャンの斎藤(名前があったのね)、少年の姉の3ショット
高級シャンプーで、紗希を射止めた佐藤さん💦
自分の為にバスを降りた紗希を、またバスに乗せた佐藤さん💦
バスに乗せられて、呆然ガッカリした紗希💦
良い人なんだけどね~
イマイチ、女心が分かってない😢
由美に子供が出来たことを、ストロングヘビーな繋がりが出来て嬉しいと語る…大学を退学した一馬さん。
まぁ、そういう考え方もあるか…
🐔🐔🐔
子作りを結婚の手段?道具?にしちゃ子供に失礼とは思うけど、何せ少子化、晩婚化。
最近、よく思うよ。
子供…欲しい人は、さっさと若いうちに作るべきだと。
卵子も老化するし、子育てには体力もいる。
卵子の凍結保存もあるけどさ、人工受精も、不妊治療も一般的になってきてるけど、いくら補助金が出ても、やっぱりお金がかかる。
大学生だろうが、高校生だろうが、産みたくないならいざ知らず、妊娠した時に産みたい気持ちがあるならば、とりあえず産んだ方がいいんじゃないかと。
自分が育てられないなら、特別養子縁組だってあるし、里親制度だってある。
子供が欲しいのに、妊娠出来なくて苦しんでる人は大勢いる。
くだらない倫理観なんか、子供の命に比べたら、屁でもないと思うけどね。
それに、子供を堕ろすことの心の傷や罪悪感に比べたら、とりあえず産むだけ産んで、育ててくれる人を探す方がまだマシじゃない?
子供だって産まれてきたいだろうに。
皆、自分と血の繋がりがある子供に拘るけどさ、血の繋がりが嫌になるくらい、親から愛されない子供、親との関係が悪い子供だっているんだよ。
何で、そんなに血の繋がりに拘るかな…
子供を大切に育ててくれるなら、誰が育てたっていいと思うけど。
お腹の中の子供を水子にしてしまうより、ちゃんと産んであげて、大切に育ててくれる人を探した方が、その子にとっても、妊娠した女性にとっても、絶対にいいとしか私には思えないけど。
学業や仕事とかも、産むだけなら、大して休まずに済む。
それに、育てられる、育てられないに関係なく、子供を産む経験は、絶対に産む人に何かをもたらしてくれるはず。
(失礼、また映画には全く関係ない話💦
そんなテーマの話じゃないのに💦
横路に反れすぎてブログみたいになってる💦)
立ち直った藤間さん。
家族とのやり直しのきっかけに、ウィンストン小野の試合を考えてる。
(ウィンストン…何かを思い出す…と考えてたら、“ジョージ・ウィンストン“ だった💦
覚えてる方、いらっしゃいます?
流行りましたね~私もレコード買ったクチです💦)
ここの会話からの流れが、よく分からなかった。
ミスリードとしてはよく出来てたと思うけど、辻褄合ってる?
このお客さんの弟は、結局、ウィンストン小野だったんだよね。
でも、美奈子(美容師)が電話してた相手は佐藤。…ということで良い?
予告された日、絶妙のタイミングでかかってきた電話の主は、佐藤さんだよね。
で、佐藤さんと電話するようになった。
それは分かるんだけど、佐藤さん、最初、電話するように言われて電話した、とか言ってなかったっけ?
佐藤に美奈子の電話番号教えたり、電話するように言ったのは、誰?
もしかして、由美?
由美は、何故そんなことを?
で、美奈子が由美の家にいるシーンがあったと思うけど、由美と美奈子はどういう関係?
見直せば分かるのかもしれないけど、最近、動画視聴中、数分おきに電波が途切れるみたいで映像が止まるので、映画を見直す気力がなくて💦
で、ウィンストン小野が、美奈子と電話する場面はなかったよね?
電話もしてない、要するに、全く知らない女性と付き合うかどうかを試合結果で決めたってこと?
何て安易な💦
で、弟の話を美奈子にした香澄(MEGUMI)は、弟が全く連絡してないにも関わらず、美奈子と弟が電話する仲だと誤解してたってこと?
香澄と美奈子が近況を話してるシーン。
美奈子の話を聞いて、弟、まだ電話してないはずなのに…と、香澄は思わなかったのかな。
まぁ、電話してないって言ってたくせに、実は電話してたのね💦…みたいな憶測はありがちかもしれないけど。
電話の主が、試合結果で美奈子に会うかどうかを決めるつもりだと誤解して、興味のなかったボクシングの試合を必死に見守る美奈子。
お財布を落とした奥さんと偶然の出会いをした…と思っていた藤間。
実は奥さん、お財布をわざと落としたのだと聞いた藤間が、佐藤に報告。
嬉しそう。
にしても、路上で財布を落とす演技って、結構難しそう。
この間聞いていたラジオで、ハンカチを拾ってもらってのベタな出逢い方をしたいと話す女性に、わざとらしくじゃなく自然にハンカチを落とさなきゃダメだ…と、MCの駒木根葵汰くんが、ハンカチを落とす演技のクオリティについて話していて、そこで演技のダメ出しの話をするか💦…俳優ならではの発想😅…と、思わず笑ってしまったけれど、
考えてみたら、結構難しい“演技“かも。笑
そうそう、歩いてるときにモノは落とさないよね💦
スーパーのレジで、お財布出すついでに、他のモノを落としてしまうのは、私もよくやるけど💦
普通に歩いているだけで、一体どうやったら鞄の中のものを落とせると言うのか💦
その場で転んで、鞄の中のものを散らばす演技の方が、よっぽど簡単💦
でも、どちらにせよ、横断歩道でそれをやったら迷惑だし、危ない💦
と、突っ込みは、このくらいにしておこう😂
一馬役の矢本悠馬さんのオフショット。
現在33歳らしいから、映画撮影時は27~28歳ぐらい?
大学中退したばかりにしては、やけに年が💦と思ってたけど、27~28なら年相応の雰囲気。
まぁ、友人の佐藤…三浦春馬さんと同じ年生まれなので、それに合わせたのかな。
少年が青年になって、青年役は藤原季節さん。
札幌出身の方らしい。
映画やドラマ、舞台と幅広く色々出演されているようだけど、見ていた作品があまり無くて、コメント出来ない…ごめんなさい。
ドラマの“朝顔“のシリーズにレギュラーで出てらしたようなんだけど、朝顔も見てなかったんだよね。
🐳🐳🐳
因みに、この映画、仙台オールロケらしくて、冒頭から仙台駅前の歩道橋が出てくる。
仙台駅、懐かしい。
私は山形生まれで(生まれただけだけど)、山形には親戚もいたりして、昔からよく行っていたので、仙台駅は乗り換えの待ち時間等でよく下車していて、駅周辺はよく知っている。
サンドウィッチマンのお二人が出演しているのは、伊達みきおさんの仙台出身に因んでかな。
因みに、伊達みきおさん、仙台出身だけど、北海道のローカル番組によく出ていて、北海道には“伊達市“という市があるんだけど、伊達市関連の話題のときには、常連で出てくる人だったりする。
福島県にも“伊達市“があるけど、(双方の伊達市という名前の由来は関連性あり)
福島県でも、伊達市関連番組で伊達みきおさんがよく起用されるのかどうかまでは、分からないけれど。
🐚🐚🐚
↓のこだまたいちさんって、駅前の歩道橋の上で歌を歌ってたストリートミュージシャン役の人。
10年経っても、全く変わらない姿で、全く同じ歌を歌ってるという…💦
ラストシーンから考えて、あと10年後も変わらずに歩道橋の上で歌ってるんだろうか。
投げ銭をもらってる描写もなかったから、昼間は別に仕事してる設定なのかな。
仙台駅付近では、私もよくストリートミュージシャンらしき人達がいたのを見ている。
駅の構内で座って歌ってた人もいた。
あそこは、ストリートミュージシャンが割と多い場所だと思うし、ちょっと懐かしかったな。
さて、私がこの映画を見たきっかけは、萩原利久くんの演技を見たかったから。
役によって、全く印象が違う別人に成りきってしまう利久くん。
この映画でも、全く期待は裏切られなくて、私がこれまでに見た、「美しい彼」の平良、「降り積もれ孤独な死よ」の蒼佑、「真夏のシンデレラ」の修、の何れとも違う雰囲気。
演じてる年齢が違うとは言え、どうしていつも全く違う人間に成りきってしまうんだろうと、心底、感心している。
映画の中で、唇を噛む場面が何度か出てくるんだけど、蒼佑や修とはまた違う唇の噛み方なんだよね。
それも、意識して作為的にやっているというよりは、例えば、この映画なら“久留米“という役だけど、久留米という人間だとこう身体を動かす…みたいなのが、もう自然に出てきてる感じ。
⬇️の映画ポスター?の下に、久留米が歩道橋の上で立ってる姿が映ってるけど、こんな感じの立ち姿、平良も、蒼佑も、修もしない。
本当に、いつも凄く自然体で役を演じてる風なんだけど、その自然体が、“その役の自然体“なんだよね。
内面から役に成りきると、こんな風になるんだろうか。
本当に不思議なくらい、何でもない普通の日常生活の演技なのに、役によって全然違う。
何か、役を演じているときは、まるで “人格交代“ が起きてるみたいに、役によって身体の動きが変わってしまうようにも思える。
こんなに役によって変わってしまう役者さん、そうそういないんじゃないだろうか。
しかも、見た目や口調等、特に何か特徴的なものがある訳ではない役ばかりなのに。
久留米も、見た目、普通の高校生。
見た目だけじゃなく、中身も普通の高校生。
でも、萩原利久くん自身が素で喋ってるのとは、全然違う。
ちょっと変なことが頭に浮かんだんだけど、萩原利久くんは、心の中、頭の中が粘土で出来ていて、何かの役を演じるときには、その粘土の形を其々の役に合わせて変えているんじゃないか💦
…みたいな。
教室の椅子に座ってる姿も、平良とは全然違う。
ただ、座ってるだけなのに💦
⬇️も、ただ立ってるだけなんだけど、首の保ち方?顎のあげ方?頭のあげ方?上半身の張り方?が違うのか、平良とも、蒼佑とも、修とも違う。
1つ1つの作品だけを見ていれば、どれも、どうってことない1人の人を演じてるだけなんだけど、作品を変えて比較すると、違いは歴然。
別の性格、別の人格、別の人。
まぁ、違う役なんだから、性格も人格も違っていて当たり前なんだけど、見た目の違いがそんなにない中、それをちゃんと其々別人にするって…
もう、ホントに凄いとしか…💦
萩原利久くんが、“好み“だと言っていた、美緒役・恒松祐里さんのオフショット。
見ていて辛い方もいるかもしれないけど、せっかくの主演映画なので、最後に三浦春馬くんの動画を載せました。
映画の中では、ずっと生き続けている。
佐藤は、紗希と幸せな生活を送っていて、可愛い子供なんかも生まれてるかもしれない。
そして、そのうち孫も生まれて、おじいちゃんになった佐藤は、孫と遊んで、目を細めて笑っている…
俳優さんが演じた役は、ずっとその世界で生き続けるもの。
映画やドラマは、演じた俳優さんにとってのパラレルワールドなのかもしれない。
萩原利久くんが、見た目や声も同じまま、色んな役をやってるのを見ていたら、そんなことを感じてしまいました。 (了)