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自分のことは自分で決める、相手のことは相手が決める


1. 自分のことを自分で決める難しさ

「自分のことなのに、どうしてこんなに迷ってしまうのだろう?」
多くの人がそう感じたことがあるかもしれません。
あるいは、相手のことに過度に干渉してしまい、人間関係が複雑になることもあります。
これこそが、心理学者アドラーが提唱した『課題の分離』の本質なのです。

自分の人生を自分で決めることが難しかったり、人間関係が複雑になり、悩む方は多いかもしれません。

例えばAさんは、新しい仕事に挑戦したい気持ちがありながら、家族の意見を気にして現状維持を選びます。自分の気持ちより周囲の期待に流され、自分で決めることができませんでした。
このような事例は多いです。

ではなぜ自分のことを自分で決められないのか、逆に相手のことにまで干渉してしまうのかという観点で考えてみたいと思います。

自分のことなのに、自分で決められないとすれば、何かしらそれなりの理由があると考えるのが自然ですから、
その理由を深掘りしてみたいとおもいます。

2. 世間体に流される心理とその影響

例えば進学先や就職先を他の人や世間体に合わせて決める方がいらっしゃるようです。
世間体とは何か。
世間体とは、社会や周囲の人々の目や評価を気にすることから生じる、個人の行動や選択に影響を与える価値観や基準のことです。具体的には、他者の期待に応えたり、他人からの評価を重視するあまり、自分の本音や願望を犠牲にする状態を指します。


大手の会社や公務員に就職するべきだ
学歴が大事だ、自分の価値に影響する
お金があれば幸せになれる

のような、世間に蔓延する考えからはみ出ないように、人は自分の気持ちより世間体を優先し、物事を決めることがあるようです。

進学先や就職先は人生でも大きな決断ですが、例えば友人との約束があっても、本当は疲れていて休みたい。
でも、断ると「嫌われるかもしれない」という思いから、
自分の気持ちを押し殺して参加してしまう。
日常でも、こうした経験が誰にでもあるのではないでしょうか。

自分がどうしたいのかという視点よりも、相手にどう思われるかや周りの目を気にするあまり、自分の基準を採用できないという方は一定数いるようです。

その背景には、他者評価が自分の価値判断につながるという思い込みが原因かもしれません。
見栄を張って他者によく見られれば、
自分の価値が上がるという価値観からくるようです。

なぜそんなに他者評価が必要なのか。
それは
自分で自分の価値を認められないから。

自分を認められないからこそ、
他者に認めてもらおうとする。
この心理は劣等感から生じます。
逆にいえば、他者評価を求めることが、自分の成長を妨げてしまうのです。

はみだしたくない、嫌われたくないから

世間的な価値観からはみだしたくないや、嫌われたくないのような心理の根底には、恐怖に基づく判断が無意識的に行われているのかもしれません。

ただ世間からはみ出すことや、嫌われたくない、評価を落としたくないのような期待が、逆にリスクになることも考えられます。

個人的な話ですが、私自身世間的な価値観に沿う感覚を持ち合わせていないためか、世間からははみ出していますし、
一部の人には嫌われている現状があります。

おそらく周りの人の目には異質に映り、空気が読めないと評価されているのでしょう。

きっと多くの方が無意識的に自分で決めることを恐れる背景には、
上記のようになりたくないというのが根底にあるかもしれません。

はみ出して、嫌われることは悪いことなのでしょうか。

はみ出したくないや、嫌われたくないなどの期待は隠れていないでしょうか。

世間体に流されていると感じることはありますでしょうか。

はみださないように、嫌われないようにばかりを恐れ続けていると、本来の自分がどうしたいかや、自分で決断するということに大きな抵抗を感じるようになるかもしれません。

誤解を恐れずにいえば、
本来の自分に沿う選択をし、責任を持つということは少なかずそうしたリスクが伴いますし、

そのリスクを取らない限りは自分の本質を貫くことや、真の幸福や自由を手にすることは難しい
と言えるのかもしれません。

本来の自分とは、自分は何が好きで何が嫌いでどうしたいのかということが自分の中で明確になっている状態です。

3. 相手への過剰な配慮と境界線の必要性

相手が不快にならないように配慮はするが、相手がどう感じるかは相手の課題である

とかく日本では、相手を不快にさせたり、迷惑をかける事態にならないのことを重視する文化があるようです。

相手がどう感じるか考えて行動することは大事です。配慮もします。

しかしそれでも意に沿わないと相手が感じても、それは相手の課題でしかないんですよね。

相手の心のコンディションを良い状態に保つのはこちらの課題や責任ではありません。

相手が不快にならないように相手に合わせる、相手の顔色を伺い続ける、世間の目に合わせ続けるのは、
考えてみれば現実的ではないのかもしれません。

おそらく合わせ続けることは無理ですし、合わせていてもいつか合わないところは出てくるでしょう。

相手が不快になるのは相手の課題ですし、相手がこちらの行動や言動で不快になるようであれば、相手がこちらに期待して依存しているということです。

たとえば、私が相手に一生懸命神経すり減らして合わせたとしても、得られるものは嫌われなかったという事実だけであり、そこに自分の幸せや豊かさは感じられないでしょう。

相手や世間の期待に応えるメリットは批判や攻撃を避けられるや、嫌われないだとすれば、その期待を手放すことで
真の自由や幸福を手にできると言えるのかもしれません。

課題を分離するには境界線を明確にする

自分の課題と相手の課題を分離するためには、しっかりとした境界線が必要です。
相手の期待に左右されずに、自分の意思を大切にする練習が効果的です。

『これは自分がコントロールできることか?それとも相手が責任を持つべきことか?』

と自問するのはおすすめです。

4. 自己評価と他者評価の関係

自分が人生で本当にやりたいことをやったり、
(他者の枠組みからの脱却などの)本当の自由を追求すれば、どこかで世間的な期待から外れることもありますし、嫌われることも当然出てくることになります。

しかし真の意味での自己価値を高めていくためには、他者評価からの脱却が必要となります。

本当の意味で成長し、自己価値を高め、
他者に貢献する姿勢を持ち続けることで逆に他者評価は後からついてくるものなんですよね。

自分から他者評価を求めない、
自分を高めればそれは自然に手に入る
しかし、それが手に入る頃には
それはもう必要なくなっている

他者評価とはそういうものなのかもしれません。

5.相手のことは相手が決める

逆に、他者のことにあれこれ干渉する場合があるかもしれません。

しかし全く別の人格を持つ相手が、
自分と同じ価値基準を採用して
物事を決めるというのは現実的ではありません。

自分の価値基準は、他者には通用しないのだ、という基本的な理解を思い出す必要がありそうです。

相手は相手の基準で物事を考えたり決めればよく、その責任を取るのは相手の大切な課題であると言えるでしょう。

自分のことを自分で決められない、
または決めたがらない人は、
逆に他者に干渉して、
ああするべきだ、こうした方が良い
などのお節介なアドバイスをする場合があるようです。

その背景には、多くの人が良しとしている基準に沿うことで、安心感や安定を得ている自分がいるため、
その基準からはみ出さなければ
評価を落とすこともないという価値観を
他者にも提供したいという意図があるのかもしれません。

他にも、
自分が大切にしている枠組みの中に収まってほしい
という期待もあるのかもしれません。

自分の基準が採用されないことは
自分を否定された気持ちになったり、
大切にされていないと感じたり、
価値観を揺るがされる挑戦に感じられたりするためです。

しかし、ここにも期待が隠れています。

自己否定をされたくない、価値観を揺るがされたくない、挑戦されたくない…

これらは恐れからくる保守的な姿勢のようです。
この姿勢には他者を理解したり尊重する視点が含まれていません。

恐れをベースにした視点に固執すると
自分の中で物事を見たり考えたりする枠組みが固定されてしまい、
視野が狭くなってしまう可能性があります。

自分とは異なる姿勢に触れたときこそ、恐れることなく理解に努め、
そこから学ぶ姿勢を持つことが自分を高める機会にもなりますし、
相互尊重を高めるきっかけになるのではないでしょうか。

6.まとめ

最終的に、自分の人生に責任を持ち、
自分自身を信じることで初めて、
他者からの期待や評価に縛られない真の自由と幸福が手に入ります。
これは一歩を踏み出す勇気が必要ですが、
そのリスクを取ることで、自由で豊かな人生が開けていくことでしょう。

心理学者アドラーの書籍『嫌われる勇気』を読んだことがありますでしょうか。
この本の本質は、積極的に嫌われましょうということではなく、自己の信念や本質を貫こうとすれば、周りからの理解を得られないことや、時に嫌われることもある。
しかし、そのことをも受け入れる勇気を持たなければ、真の幸福や豊かさを得ることはできない、という教えなんですね。

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いかがでしたでしょうか。
自分で決めて人生を歩むことが難しい理由や背景をお伝えしました。

その根底には周りからはみだす恐怖や嫌われる恐怖があるのかもしれません。

自分で決めるためには、まずは小さな決断から始めてみるのがおすすめです。

多くの恐れは自覚されておらず、実際よりも大きく感じられているかもしれません。
しかし恐れとは実態のないもので、自分がその恐れを自覚さえしていれば、恐れに大きく影響されることは減っていくはずです。

恐れを乗り越える勇気を持てたとき、自分の力で自分の人生を切り開く段階に入るのかもしれません。

皆様の人生が幸多き、豊かなものとなりますよう、心から願っております。

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