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許せない?許してもらわなければいけないのは自分の方だった

人生の経験の中で、誰しも許せないという感情を持ったことはあるのではないでしょうか。
自分を攻撃した、傷つけた、尊厳を無視された、嫌な思いをさせられた、気力を奪われた。
大切な何かを奪われていてこんなにも自分は苦しんでいるのに、この期に及んで理解ってもくれない!?
なんで?なんなの!これ以上バカにして楽しいですか?私の気も知らないで!

許せない時の気持ちはこんな感じでしょうか。
恨みに近いような気持ちで、当時の苦しかった状況を思い出して相手を心の中で責める。
許せない許せない!なんなのよ!

厄介な感情許せないには問題点がいくつかあります。

1、相手に期待しすぎている自分がいる

相手はいつも自分の思い通りに動いてくれて、自分の希望や気持ちを満たしてくれるはずだ。
なのに私の気持ちを無視して、
希望を叶えてくれるどころか不利益を被(こうむ)らせてきた!
ありえなくない??
絶対に許さないから!!

これは過剰な期待です。一方的な欲です。
欲張りの状態なんですよね。

冷静に考えれば相手にも相手の立場があるし、相手の考えもあるし、相手の要望もある。
それなのにこちらの過剰な期待を押し付けて、こちらの要求が叶わなければ叶えてくれない相手が悪いと責め立てる。
相手の立場や考え、要望を無視した上に相手が悪いと責任まで押し付ける。。

ある意味傲慢な振る舞いに感じられます。
長期の関係性に於いて、自分のエゴだけを貫き通すことができないのは周知の通りです。

むしろ許してもらうべきは自分のこのような横暴な考えや立ち振る舞いのほうなのかもしれません。

この辺りは『許せない』の問題点だと言えるかもしれません。

2、相手を許せないと感じていても
実際は自分自身を許せていない


これは自分に厳しい人に多い事例かもしれません。
時間は守るべきだ。お世話になったらお返しするべきだ。結果は必ず残すべきだ。とことん追求するべきだ。だらしないのはいけない。
ルールに厳しいことは、全体の秩序を守る上でも大切なことです。

さてここでは何が問題なのでしょうか。
それは
いい加減な自分を許せていない
という点です。
確かに自分1人で生きているのではない以上、他者に対する配慮は常に持つことが大切という社会通念はわかります。
そして、それを自分の中できちんと守ることに大きな価値を感じている方もおられるでしょう。

しかし、そのルールに縛られすぎることは他者もルールで縛ることになってしまうんですよね。
世の中には、ルールに縛られることを苦痛に感じる方もおられます。

いやいやルールはきちんと守るべきだ!

と強く思われるようであればそれはある意味で価値観の押し付けであり、
他者を尊重しない姿勢の表れです。

自分の重視するルールに合わせて欲しい!
そうしないと自分の気が済まないからだ!

こんな言いぶんが通らないことは、人生を経験していると多くの人が気づく事実です。
みんないい加減な部分は普通にあるし、
自分の考えが適応されないことも普通にある。それが現実です。

他者に寛容になるには自分にも寛容になる。
これは大事な視点なのかもしれません。

まぁ、うまくやれるに越したことはないけどそうじゃなくても別によくね?

このくらいに自分のことも緩められれば他者にも怒りようがありません
緩められないということのリスクは失敗した時などに顕著に表れるでしょう。

自分はなんてダメなんだ!無価値だ!
なんでこんなこともできないんだよ!
自分はこんなはずじゃないのに!

責めてます。めっちゃ責めてます、
自分を。
自分を責めて責めて責めて責めきれなくなった怒りの矛先は今度は他者に向かいます。

恐ろしいことです。
その感情をそのまま他者にぶつけてしまったら関係性にヒビが入るかもしれません。
ギクシャクすることは避けられないかもしれない。

・・・どうか自分を許してください。
ダメな自分もできない自分も自分の中の一部であることに変わりはありません。

むしろこのような自分の中の非の部分を認めない姿勢こそが、
自己の無価値観や満たされなさを生んでいる側面がある
んですよね。

他者の許せない非の部分は自分の内面にもある。
自分にないものって人間、認識できないんですよね。
自分にもある。
卑劣な自分もだらしない自分も、いい加減な自分も嫉妬深くてわがままで自己中な自分も。
自分の中にある。
存在している確実に。
しかし認めるのは怖い。

その存在を『自分で許せるか』どうか。

本当は自分に自分を許して欲しかったんですね。
許してもらうべきは自分の内面にあったようです。

しかし受け入れられない気持ちから
見えないことにしていた影の部分。
シャドウ。
心理学ではこう呼ばれているようです。

自分の非の部分を認めると楽になります。
それは元々大事な自分の一部だったものだから。
自分でなきものとしていた部分を戻す。
よくても悪くても許す。受け入れる。

許されるべきは自分の方だったんですね!

自分で自分を許す、許していい。
完璧じゃなくてもいい。
完璧じゃない自分を許して愛する。

これが、気楽に生きるポイントの一つなのかもしれません。

皆様の毎日が幸多き豊かな日々でありますように。

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