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御言葉の黙想 士師記20章23節 2024年9月2日

本文:
イスラエルの人々は主の前に上って夕方まで泣き続け、「兄弟であるベニヤミンの人々との戦いに、再び出撃しなければなりませんか」と主に問うと、主は言われた。「攻め上りなさい。」

黙想:
「イスラエルの人々がエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは、起こったことも目にしたことも」ない(19,30)と表現したほどの猟奇的な事件が起きた。あるレビ人の妻が、ベニヤミン族の町ギブアで輪姦され、殺された事件である(19章)。
王がいなかった時代だったので、治安が不安定だったとはいえ、現代の読者だけでなく、当時の人々をも広く驚愕させた出来事であったのには変わりない。全イスラエルはベニヤミンに、この責任を必ず取らせようと決意する(20,8)。
それは主の御心に適うことでもあった(20,18.20,23)。しかし、ベニヤミンは犯罪者の引き渡しを拒否した(20,13)。そして、軍事的な懲罰が始まるのだが、問題はベニヤミン族も精鋭をそろえ、イスラエルが苦戦を強いられたことであった。
イスラエルは神の御旨に従い、戦い続けた(20,28)。彼らは作戦を変更し、後退するふりをして大きな道にベニヤミンを誘導した。そして、周りに忍ばせておいた伏兵を用いてベニヤミンを包囲し、殲滅させた(20,48)。
戦争が終わった後、戦後勝利を考える段階になって、彼らは事の大きさに気付いた(21,3)。
その後、主の御前に召集されたにもかかわらず、応じなかったギルアドのアベシュの住民は罰として、虐殺された。その生き残りの処女四百人(21,12)と方便によってこしらえたシロの娘たち(21,21)をベニヤミン族の生き残りに与えることで、かろうじて戦後処理を果たした。

大切なことは、これがすべて主の御計画の中にあったということである(21,15)。不法を行う者は処罰を免れないが、主は回復の道も備えてくださる。

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