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第12話 戦後交渉への関与

関ヶ原合戦後、大坂城入城を果たした忠勝は正則らとともに毛利家との戦後交渉に携わりました。この交渉において、前回紹介した忠勝・直政起請文が軸となっており、9月晦日、忠勝・直政・康政は毛利家家老衆からの人質供出や輝元の薩摩島津家討伐での先陣役という最終的な約定を交渉を直接担当していた福島正則·黒田長政に申し渡しました(「毛利家文書」)。
10月、11月には重傷の直政に代わって黒田如水へ書状を送り、九州での働きを称賛するとともに、息子・長政の手柄を報告して如水を安堵させています(「黒田家文書」)。その一方で、関ヶ原合戦の要因でもある上杉家との交渉や娘・小松姫の嫁ぎ先で、徳川家にとって因縁の深い真田家の昌幸・信繁父子の助命嘆願に関与しています(「覚上公御書」、「真田家文書」)。
さらに、翌慶長6年(1601)2月と5月に最上義光の家臣だった岩屋右兵衛尉に書状を送り、酒田表での戦功を称賛するとともに上杉氏の降伏に触れ、万が一破れた場合は徳川秀忠が大将として討伐に派遣されることを知らせました。またもう一通の書状で、訴訟については本多正信や最上義光から伺い次第返答する旨を伝えています(「秋田藩家蔵文書」)。

忠勝が岩屋右兵衛尉に宛てたもの。会津表の動向を詳しく知らせている。


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