見出し画像

素朴な疑問|挙手して発言しない4つの理由

先日、講義の中で「AとBの違いを説明してください。」と問いかけがあった。大学受験を経た我々にとっては、高校で習う基礎的な内容だったため、推測で教室にいる30人中20人は違いがわかっているハズ。

なのに、だれも挙手をして発言しようとしなかった。筆者も然り。

小学校低学年の頃は、発言したくて指名されたくて、思いっきり手を挙げて先生にアピールしていたのに…。いつからか、先生と目線を合わせないように俯いて、影を薄くして挙手+発言を避けるようになってしまったのか。

考えられる理由は3つ。

  1. 本当に分からないから

  2. 面倒くさい・消極的だから

  3. 恥ずかしいから

それぞれの原因について分析していこう。

1.本当に分からないから

これは勉強不足、もしくは忘れているだけなので仕方がないと思う。
むしろ、ほかの人の発言を聞くことによって、理解が深まるかもしれない。推薦入試で、ペーパーテストを突破していない人が一定数存在しているので、分からないという人がいてもおかしくない。

2.面倒くさい・消極的だから

これは仕方がない、で片づけることもできる。大学に入ったからと言って、すべての講義が自分の興味関心分野で、面白いと思うものとは限らない。しかし、根本的には「分かっているけど」というのがあると思う。
「めんどくせー」アピールをせずに、「わからない」フリをしてその場を乗り切った方が、先生側にとってもやる気のある学生にとってもネガティブな感情を与えずに済むのではないか。
仮に「めんどくせー」アピールをしたところで、先生側はそんな学生にいちいち構っていられる暇はなく、誰にとってもプラスにはならないだろう。

3.恥ずかしいから

これは「①手を挙げるのが恥ずかしい」「②間違えたら恥ずかしい」「③真面目だと思われるかもしれない」「④注目されたくない」の4つが考えられる。
筆者は「③真面目だと思われるかもしれない」という理由で挙手しなかった。余計なプライドが邪魔していた証拠だ。

①のわざわざ手を挙げること自体、恥ずかしい・面倒くさい、『私分かります!』と意思表示をするのが煩わしく感じるのかもしれない。手が上がれば、他の人は無意識にそちらへ目線を向けてしまう。④注目されたくない、という気持ちも働いていると考えられる。

②間違えること自体は”悪ではない”ということは知っている。ただ、多くの人の前で間違えるということは、自分の弱点を晒すという行為なので、結果的に間違えたくないという心理が働くのだろう。

③の「真面目な人物かと思われる」、「勉強熱心な人と思われたくない」、という他人から自分がどう見られるかを気にしているケースもある。
勉強を頑張っている人、本気な人はダサい。だからそう思われないように、本気じゃないフリをする。
また、本気な人とそうでない人が持つ熱量には差がある。相手が熱心だと、こちらも同じ熱量で向き合わなければと思う。同じ熱量の人同士で群がり、熱量の差があると避けるようになる。周囲から孤立しないように熱量が少ないフリをするのだろう。

④視線を集めたくないのは、日本人の同調圧力が関係していると思われる。義務教育時代は、ノートと黒板をにらめっこして、静かに言われたことを受け身でこなしてきた。静かな教室の調和を乱すのは、良くないとされ、周りに迷惑をかけないように、ひっそりと過ごした。
こうした受け身の勉強をしてきた人にとって、急に積極性を求められたらどうしたらよいか分からなくなるだろう。
しかし、小学校低学年の頃は発言したくてたまらなかった。①②③の理由と絡み合った結果、「視線を集めたくないという感情を持つようになった」と考えられる。


要するに、挙手しないことについて私は驚きと危機感を持った。勉強に真剣に向き合いたい本心と、周囲はそうではないというギャップに困惑した。

挙手しないのは、私の学校だけなのか。
日本の大学だけの現象か。そうであれば、原因は何なのか。
海外の大学生は挙手するのか。
グローバル化の時代に、日本は圧倒的に不利な立ち位置になるのではないか。

貴方は、授業で発言を求められたら挙手をしますか。



いいなと思ったら応援しよう!