「動けない私」と「動けるあの人」
行動力がある人を羨ましく思うのは、きっと私だけではないはずだ。「やってみればいいんだよ」と言われても、その一歩が踏み出せない自分に葛藤する日々。
しかし、考え方を少し変えてみることで、自分のペースで進むことができるようになった。このnoteでは、行動力に対する憧れと葛藤、そして自分らしいタイミングで一歩ずつ進む私の気づきをシェアしたいと思う。
行動力への憧れと葛藤
行動力がある人を羨ましく思うのは、きっと私だけではないはずだ。
「やってみればいいんだよ」とその人は言う。しかし私は、その一歩がなかなか踏み出せない。石橋を叩いて叩いて割ってしまうタイプである。
「動かない理由を自分で選んでいるだけだ」とその人は言う。痛いところを突いてくるものだ。
一歩ずつ、私のペースで
考え方を変えてみた。
人にはそれぞれのタイミングがあるのだ。今は動く時期ではない。ただそれだけのこと。たしかに、動けば動くほどチャンスは巡ってくるかもしれない。だけど私は人生の激変なんて望んでいないのだ。振り返ったときに、自分の歩いた軌跡が残っているだけでいいと思っている。
悩んで悩んで悩んで…「悩み疲れたな」と思ったら進んでみる。それでいいのではないか。人は、感情を味わい尽くすと前に進める生き物らしい。
だってほら、恐る恐るでもnoteを始めてみた。一歩を踏み出すのに時間はかかったけれど、数日前の私より確実に前に進んでいる。
おわりに
「動かない理由を自分で選んでいるだけだ」と言ったその人は、もしかしたら、そう言うことで自分を叱咤激励しているのかもしれない。
でも考えてみよう。
「動けない自分が許せないあの人」と「動けない自分も認める私」
どちらが自分らしく生きていけるだろうか。
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