私の記念日
更新ができなかったこの数週間。
本当に色々ありました。
気分が落ち過ぎて、総合病院の精神科にも連れていかれました(入院は回避)。
仕事を休んで家に居ても、苦しくて苦しくて。
何をしていても落ちつかず。完全にウツ。食事も出来ず、体重はガタ落ち。全身げっそり。
子供といるときですら、心ここにあらず。上の空。
大号泣中でなければ、顔面蒼白。それ以外の表情は忘れていました。
ひたすら自分に向き合わざるを得ない日々。
瞑想してみたり、本を読んでみたり。どれもうまくできないけれど、とにかく必死でした。
判断能力が極度に落ちた。
休職を申し出た私に、職場の上司が「何か手伝えることがあれば何でもする」と言ってくれた時も、「何をどうしてほしいのか、それすらわかりません」と答える始末。
本当に何もわからない、ただただ苦しく悲しい日々を過ごしました。
そんなこんなの日々の中で、一つだけ、徐々に気がつき始め、確信めいたものに変わった気持ちがありました。
「私は、夫のことが嫌いになった」。
「夫と共有する空間、夫の存在、これが苦痛の種である」。
そんな時、職場の上司が言ってくれた言葉が思い出されました。
「ストレスの原因を見つけて排除しろ」。
そうか、私はここ数カ月間、いや、もしかしたらもっと長い時間、彼に対する自分の気持ち(主に怒りと悲しみ) を押し殺してきたのか。
結婚前後や子供が生まれた際、自分のキャリアを捨ててまで?、育児休暇を取る、時短で働くなどして私を支えてくれた彼に(彼の方が私より給与が低いことも一因)、私は義理を感じてきた。
だから、彼の言うこと(「お前は社交的すぎるから他人に振り回されて精神不安定なんだ。自業自得だ。俺みたいに友達が一人もいないことが正解だ」など)を盲目的に信じ、彼の行動(家事育児に消極的など)も黙認し、ひたすら自分の気持ちを抑えてきた。
そんな彼に突然突きつけられた離婚宣告。
私の怒りや悲しみの矛先は自分に向かった。ひたすら自己否定をし、自分を責めた。
苦しかった。息ができなかった。
ギリギリの日々を送りながら、自問自答する中で、見えてきた答え。
「夫に出て行ってもらおう」
それを今日、彼に伝えた。
涙も見せず、冷静沈着に。
現実問題、実際に彼が家を出るまでにはまだ時間がかかるだろう。
彼が出て行った家を見て、私の感情がどう動くのか、わからない。
これからの生活に、自信なんて、ない。
私の答えが正しいのか、わからない。
でも、今日は私の記念日。
私が私を守った、記念日。
私くらい、私の味方でいてあげなきゃね。
大丈夫だよ、 私。
私は私を肯定する。