夫には夫のやり方がある
今日は私は出社日。夫が休みの日だった。
時短で働き始めた私は、時間的には、子供の朝の準備も送りもできた。但し、これは今日は全て夫に任せるつもりでいた。だから、いつもより長くベッドにいたし、自分の朝の準備だけをした。勿論、子供と一緒に朝食の席にはついたし、子供を無視することはしなかったが、とにかく、「私はいつも自分がやっていること」を今日は全て夫に任せることに決めていた。
子供のこと以外にも、ベッドの片づけ、食器類の片づけ、朝の換気など、全て放置してみた。自分の準備が終わった今、子供たちと夫が出かけた今、出勤前に少々の時間がある私は、今このブログを書いている。
私は朝、子供たちと一緒に朝食の席に着くようにしている。子供たちはぐずる日もあれば、テーブルで二度寝する日もあれば、機嫌よくしっかり朝食を食べる日もある。本当にまちまちだ。今の時期は寒がることもあるので、毛布にくるませて朝食を食べさせることもある。
夫は、子供たちを着替えさせるときに、自分の好きな音楽のPVをタブレットで子供たちに聞かせ、見させていた。子供たちは、ハミング?しながら、素直に着替えさせられている。朝食時は、夫が子供たちの弁当(といってもサンドイッチ程度だが)を準備している間、子供たちだけを朝食の席につかせ、先ほどの続きのPVをタブレットで見させていた。
子供たちは機嫌よくハミング(再び・・笑)しながら、タブレットに見入っている。朝食はあまり食べていないが、機嫌は良い。
最後にトイレに行かせ、歯磨きをさせることすっ飛ばしそうになった夫に、「トイレと歯磨きはした方が良い」と伝え、時間ギリギリにはなったが、無事に登校、登園に出かけて行った。
今日書きたかったこと、それは、まだ気持ちが不安定ではあるが、少しだけ、「夫のやり方」を尊敬し、見直し、認めることができたこと。私にはできないやり方だけれども、「こんなやり方もあるんだ」と思えた。
普段ならここで、「私もこうしなければならない」「夫の方が上手だ」「私がいなくても」と自分を責めるのだが、どうにか堪えた。今も堪えている。
自分を責めそうになる自分を抑えている。その気持ちを整理するために、このブログを書いている。
「私には私のやり方がある」、「夫には夫のやり方がある」。
どちらが甲乙というのではなく、ただただ、それぞれぞやり方を認めること、それが大切なのではないかと。それぞれのやり方をありのままに、認める。評価はせず、ありのままに、そのままに、存在させる。
まだまだ不安定な一歩であるが、こういう考え方を少しずつ取得できれば、私のウツ?、自分を責める趣味?、も変わっていくのかもしれない。