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STEAMに至った動機 学生〜会社員時代の話 前半
梅雨で雨がしとしとぴっちゃんですね。
タイトルの通り、なぜ学習塾ではなくプログラミング教室一本でもなくSTEAMに取り組もうと思ったのか、なぜものづくり人材育成を志すのか。
その辺りを自分の背景交えてお話ししようと思います。
(長ければ後半に続きます・・・)
大学生になるまではやりたいことは何もない
中学卒業間近
中学、高校と母と喧嘩をしながらの進路決定でした。
そもそもそんなに綺麗に進路先がまとまるなんてことないです。
なのでここに書く内容は美談ではなく、泥臭くそんなもんだよね。という内容です。
高校進学をしないと伝えた時には母と大喧嘩です。一方的にビンタで終わりましたが、自分が中学の時「死にたい」と伝えたことで母は職場で泣いていたそうです。
けれども中学生からすると生きることの対極にある死についても道徳的にふれるべきではないの?なぜ片側ばかり見た世界を押し付けるの?という子供ながらに思いはありました。
必要性を感じなければ人は動かない。
とはいえ高校に入ったらどうなるか、入らなかったらこうなる。というのを懇切丁寧に伝えればいいのに、それをしないというのは自分が生まれた地域の特性上、そういった子が一定数いるのである。
貴賤意識を植え付けるわけにもいかない。そして自身のそうした部分を晒すわけにもいかない。親は伝え方は苦労すると思います。
けれども結局は高校には入学しました。
受験当日、行きたくなさすぎて受験票を忘れましたがね。
高校は猿の惑星かな?と思った
偏差値で輪切りにされているのはどこも同じですが、ぼちぼちの県立高校を受験します。
地元とは離れたところだったので、風土というか土地柄なのか妙な性格がどうしても引っ掛かります。(なんだかプライドが高い子が多いぞ・・・)
遠回しなマウンティング合戦を繰り広げる子、容姿差別をダイレクトにする子、あからさまな嫌がらせ、万引き、喧嘩・・・etc
窓ガラス割れなかっただけマシかもしれません。
男子トイレの便器が破壊された事件はありました。
卒業後も良くない方向で新聞に載ったこともありました。
そんな高校です。
そして本能に従順といえばそうなのですが、マウンティングをとることで自分のプライドやメンツを保つ方法を取る子が一定数いました。加えて容姿差別です。からの価値観はやっぱり「こういう子ならこれをしてもいい、そうでなければダメ」という感じで。それを無意識的に押し付ける子も多かった気がします。
全体の1~3割程度はそんな子かな。なんでそんな考え方や価値観の形成になったかというと土地柄によるものや歪な産業構造から親の意識、家庭教育といった連鎖的なつながりによる人格形成であるかな、と捉えています。
上澄だけ伝えると、経済力はQOLに影響し、その人の価値思想にまで介入する。という印象の内容でした。
この話はとりあえずここまで。
そのような状態の中で進路なんて決まるはずがありません。
ちなみに高校3年の頃の進路選択は就職か国公立大学進学の2択のみでした。家庭の経済力的には限界なのです。
加えて当時はリーマンショックが起きた頃でした。
担任の先生はすごく困ってましたね。けれどもリーマンショックなんて起きたらば、進路選択に絶対なんてないので大学進学などの通り一辺倒な回答しか返ってこないのも予想できます。
経験がないことや学校の箔にならないものは伝えないものです。けれどもこうした時に具体性のある質問力はこちらにも必要になると、三者面談の話を聞くとよく思います。
地味に私も猿となりながら勉強をしてはいました。
環境に適応するにはそうするしかないのです。
なので環境選択の重要性を十二分に理解した高校生活でした。
そして先ほどのプライドの正体は、形容し難い劣等感です。
卒業後の進路は・・・
高校1年の時にはバイテクブーム(遺伝子組み換え)だったこともあり、長らく進路希望用紙を白紙で出していた私はニュースで見たそれをきっかけに、とりあえず詰問が鬱陶しいからという理由で「農学部希望」と書きました。
当時の担任の先生からは「私ね、嬉しかったのよ」と言われましたが、私は嬉しくはない。(何度も言いますがこの記事は美談にはなりません。)
というわけで曲がりなりにも目標が定まると自他共に安心です。具体的なものを、計画を落とし込めるので。
とはいえ塾にも通えない経済状況なので独学で国立大かよ・・・しかも県外は仕送りできないからとNG、つまり進路であって進路ではない。自分に決定権はないのだ。お金がないから!
でもこの時のやりたいことは何?と聞かれると「スーパーのレジ打ち」なので、就職だとパートとかフリーターでそうなっていたでしょう。
ということで農学部入学へ向けて勉強をしていると・・・
え?アリですか? 推薦でもめる
高校3年の時、受験勉強を進めるわけですが、担任はまだ若手で赴任してきたばかりでもあった。そしてこの高校の性質というのに慣れるのが大変だったように見えた。
その性質は上記で述べた通りであるけれど、いかんせん親子ともにプライドは高い。というご家庭が多いのである。そして努力せずになんとか楽な方向で・・・という流れで大学を希望するご家庭も少なくない。
大抵は落ちるけれど
そしてやっぱりそうなると「そこそこ偏差値のいい大学に行きたい、でも勉強とか努力はしたくないというかできない」というパターンが多いのだ。
この時点で残念なプライドが垣間見える。楽して自分はいいポジションどりをしたいというのは本能ではあるけれど、それが見えている分、受験勉強向きではない。悪い方向で、向いていないケースである。
担任の苦肉の策は推薦を多く出す。というものであった。秋ごろになると机に大量のリポビタンDが並んでいて、それを見ない日がなかったほどである。
私は当初筆記試験のみで突破しろと言われたのだけれど、推薦組は勉強が苦手な子に絞られていたことに納得がいかず直談判した。
「筆記試験でいこうが推薦を受けることはできるし、そのために勉強で結果を出したのにそれが活用できないのってどういうことですか?勉強ができない子はそれしかないとしてさておき、じゃあ何のために学校の成績をあげたっていうんですか?」
という問いに対してねじ伏せるような気力はないし、そもそもそこの部分は矛盾を感じていながら担任も進めていた様子だったので、推薦を受けることができた。
推薦入試までに志望動機やらを固めますが、自分のは大体で固める。親は全くもって無干渉。
そして推薦の面接練習というのに納得がいかず、結局練習も通算2回ほどしかやってない。これホント。
機械的に話すことに何の意味があるかわからず、そして無干渉だった母からもこれに関しては「自分らしく話して落ちるなら仕方のない。嘘偽りないあなたを見てもらって評価してもらえばいい。ダメだったらその時はセンター?になるん?」
いいこと言いながら受験構造何もわかってない様子である。(そう、これは美談にはならない物語です)
でも面接までは色々と勝手をしました。
希望する研究室の教授に勝手に電話をして推薦の倍率を聞く(6倍だった)
当日の面接では志望動機に書いた内容を勝手に変える
カビを育てたいので液体培地を分けてもらえませんか?という
などなど。
担任は面接の終わる前後数日は「あいつは落ちる、センター狙いでいこう」と思っていたらしい。
実際ここで合格したので担任は後で「なんでお前が受かったのか本気でわからん」と言われた。
面接中は英検の2級をとりあえず持ってることを書いたらそこに食いついて、
「へえ、英検2級なんだ?なんか喋ってみてよ」
「ええ汗、何か聞いていただけた方が言いやすいです」
「じゃあ、ハウアバウチュー?」
「オォ、アイムナーバス」
「ナーバス!?ゲラゲラゲラ(一同爆笑、体感は3分くらい笑ってた)」
自分でも落ちたなと思いながらトボトボ帰ったのは覚えています。
そして合格発表はサイトで確認できます。友達には落ちたと思う、と伝えたのに友達は「見に行こうよ」とずっと言う。渋々いく(上手く励ます準備はしてなそう、、、)
渋々番号を探すと「あ、あった。」で友達の方が興奮気味。
と言うことで自分も家族も肩の荷が降りた瞬間ではありました。
ちなみにセンターの結果は11月から理数科目は全くノータッチとなり、文系科目ばかりやってたので、分離逆転して総合得点は65%くらいになりました。(センター受験目標は7割越えでしたが)
このあと担任にはくどくど言われましたが、推薦で合格したのにセンターで結果出す意味って最早プライドしか残ってなくない?と思いそのくどくども納得がいかず。
如何せん柔軟性に欠ける学生でした。
次は大学生編を書きます。
やっぱり長いので何編かに分かれそうです・・・