THE K_.LLER 疎外感で共感を得ようとはしない、新しい造形の「ザ・キラー」
計画通りに遂行しろ
即興はするな
共感するな
誰も信じるな
血圧を高くするな
脈拍を60に保て
良質なタンパク質を摂れ
「共感」と「誰も信じるな」以外はよく言われます。ふだんよく言われていること言う主人公にはなんだか共感してしまう。
「THE K_.LLER」の主人公の人物造形は自己破壊的ではなく、ふだん私達が指標とするふつうのことを自分に言い聞かせている、という新しいものです。
また、ストーリー上の疎外感が受容者本位に使われ得る点について大幅に修正していることがとても注目できる、と思いました。
それを間違いなく発信するためにスミスを使っている点も、とても良いゆるみがあるのではないでしょうか。
🥚The Smiths の今日的な位置付け
「パリでドイツ人ツーリストの格好をしているのは、彼らが敬遠されているからだ」と言う、主人公。煩わしいものはなるべく見ない、という人間の心理を利用して静かに静かに標的に近づき、改装中、あるいは撤退中の「WeWork ※」の廃事務所を拠点とする。「エキスパート」ですごいな、ダンボールリフターの上に何日も寝られる筋肉と腰骨を持っているのだな、
と思った矢先にThe Smiths を聞きながら暗殺失敗して大変驚きました。導入部のパリの荘厳さはなんだったのか(笑)。
第72回 ─ 80年代で一番偉大なバンド、スミスが残してくれたもの - TOWER RECORDS ONLINE
1980年代にポジティブパンクというパンクの派生音楽があって、そのひとつがThe Smiths です。
スミスは、その後のシューゲイザー音楽の祖となった、良く言えば繊細で感傷的な音楽であり、「アメリカではスミスを好きであることが〈本当にダメな奴、ヤバい奴〉の代名詞としてギャグにされていた」とのことです。
日本では米国よりも評価が高いのか、群馬県や栃木県の高価格帯カフェでアルバムジャケットが誇らしげに飾られている、といった位置付けです。
そんな音楽で精神統一を図る暗殺者とは、、なにその造形、、と、
私は序盤から吹き出しました。なんという困難な道を歩む暗殺者だろうか。そして案の定、仕損じます。スミスを聞く暗殺者が仕損じない訳がない。
🥚リカバリーに成功できるのは、ミスをした後も頑張れる人だけである
ミスをした後、ザ・キラーはパリからドミニカ国の隠れ家に帰って恋人に会おうとします。ドミニカでは追手がかけられていることが分かり、かつ『恋人は死んでない』。暗殺失敗をして組織に追われるのかと思いきや、家に戻った時点で組織の対処は終わっています。
ザ・キラーは恋人が痛めつけられるという代償を払ったのですが、これを承服せずに「落とし前の落とし前」をつけるためにリカバリー仕事の段に進みます。
恋人がひどい仕打ちを受けているのでスルッと見てしまうけれども、
「(ドミニカに)着いたら連絡しろ」と言いながら追手をかけた弁護士の所にいくところからは、私闘になります。
ドミニカ・シークエンスで確認しておきたいのは、暗殺失敗をカバーするための対処が、キラーの関係者まで含めた完全なクリーンアップではなく、「リスクが高い殺人は最小限にとどめる、痛めつけておくだけ」という世界線であり、暴力に対抗する態度として「口を割らない」ことも有効であることです。これがラストに効いて来ます。
報復に報復を重ねていては終わりがない。「どこが報復のやめ時なのか」という今最も必要なメッセージが示される映画でもあります。
そして、主人公はまたミスをしてまうのじゃないかとハラハラしながら見守ることになる、面白い構造になっています。
これはあれだろうか、オズの魔法使い風な行きて帰りしストーリーなのだろうか?と思いながら見進めると、
第1の標的『ブルート』は日本でいうとマイルドヤンキーです。
愚痴を言いながら報復の準備をするザ・キラー。「掃除を全部きちんとやるだけだ。細部を怠るな」的な言い聞かせは、仕事を前に進めるために人類が皆やっている工程を、暗殺の工程の中に見ることにもなっており、不思議と主人公の気持ちが分かるようでした。共感できる。
スミスを聞く人はもちろんマイルドヤンキーは苦手よねえ、
主人公と3人の標的はもしかして、1人の人間を3分割したニンゲンを構成する要素のメタファーで自分探しの旅ですか、
なんて言って見ているとそうではなく。
第2の標的の『エキスパート』シークエンスでは、「会話」に飢えている主人公がなかなか殺さないばかりか仕事論でティルダ様に詰められる仕様になっています。こういうすごい嫌味を言われたことが誰にでもあるでしょう?なんという嫌な行き届いた設計だろうか。(褒めています)
🥚ポジパンがSUBPOPを打ち負かすフェイクフィクション、という、今さら誰が喜ぶんじゃという落とし所が面白い!
共感が最大に高まったところで、第3の標的『クライアント』が登場。
クライアントとザ・キラーが対峙した時に私が目にしたのは、
金と権力を持つハゲ散らかしたクライアントが着ている「何回も洗ったヴィンテージ SUB POP Tシャツ」なのでした。
SUB POP !!!
パンク、ポジパンが日本で衰退する中で世間をノシたのが、ニルヴァーナを筆頭とするサブポップレーベル、およびそのスタイルであるグランジファッションですよ。ヒップホップでなく。
サブポップに倒された時に我々の音楽は一度死んだけれども、
映画の中ではサブポップを倒したよ!ポジパンが!
と、
心の中で快哉を叫び大いに笑顔になりアガりました。
フィンチャー監督は今回も、こういう風に面白く意図的に「フェイク・フィクション」を使うのかと慄きました。
デヴィッド・フィンチャー監督のフェイクフィクション活用については、こちら。
そして、ここでザ・キラーは命を取らずに引き下がります。
殺した後のリスク評価を独り言として示しており、サブポップとは「会話」で落とし前を付けるのです。
どのように引き下がるかを示すのは、今の世の中大変良い幕引きだったと思います。
🥚犯罪者だけど孤高でないラストがデザインされている
ミスによって追い込まれる状態からの復旧をやり仰せて暗殺者は恋人のもとに帰り、とてもおいしそうなオレンジピールを添えたコーヒーを作って恋人に渡す、そして終わり。となります。あぁ良よかった。
やるべきことを頑張ってやりおおせて、家に帰り、恋人(女性)は生きている。そんな「ザ・キラー」。
少し前までの映画では無常なストーリーが多かったけれども、前の時代を経て戦争がある今の時代には「ホームに帰ってくつろぐ」という目的があること
が、暗殺者の映画にも絶対に必要だと思いました。
『ラストが敢えて孤高じゃない』ことが良く、これはわざとデザインされています。
このデザインは自主規制なのかも知れないけれども、それを「タクシードライバー」「ジョーカー」「プロミシング・ヤング・ウーマン」などの旧来のセンチメンタル、病むことを味付けにしたエンターテイメントへのアンチテーゼとして活用する工夫はすごいなと思いました。
自己破壊を誘発しないようにエンターテイメントする工夫の仕方がある。
最後に、韓国の作家のチョン・イヒョンさんが本を書き出版することについてスピーチされていたことが、この映画とすごく呼応するのではないか、と思ったので、講演のメモを引用します。
ー ・ー ・ー ・ー
自己破壊的、他人と世の中を破壊する形で暴力が現出することが起こっている。
新しい感覚の疎外感を感じることがある。
それにどのように、耐えることができるか。
書籍は、そばに居るという静的な方法で立ち向かうことができる。
「病(やまい)」として、センチメンタルなファンタジーまで含むのは、前時代を思わせる。
ー ・ー ・ー ・ー
[おまけ] WeWorkの今日的な位置付け
(※)WeWork=米国のコワーキングスペース運営会社、ノマドワーキングという弱者搾取と、コロナ禍のメタファーでもあり、経営面では存続の不透明性が言われている。わが国では孫正義氏が出資したことを汚点だったと反省している。
WeWork急転落の時点でソフトバンクグループは推計115億ドルの投資損失を出したほか、22億ドル相当のウィーワーク社債も保有していた。 WeWorkは「ザ・キラー」Netflix公開直前の2023年11月6日に破産申請をした。