自我芽生えた操り人形


なんとか母の第一志望の進学校に引っかかった
母に怒られたくない一心で受験勉強をしたせいか
模試ではぎりぎりだったが
最後の追い上げで
まんなか辺りの成績で合格した


私は併願校の
カトリックお嬢様学校に進みたかった
のんびりしていて男子が苦手な私には
誰が見てもこの高校のほうが向いていたと思う

お嬢様校の合格発表では
誉めてもらえなかった
お祝いなどあるわけなかった
母からしてみれば
合格して当然だったのだろう
結構頑張ったんだけどな




そして
小さい頃から発揮してきたスキル
母の空気を読んで
キャラに合わない進学校の制服に袖を通した

母は大喜びして
大袈裟なくらい私を褒めちぎってくれた

ーーああ 母のこの笑顔が見たかったんだ
ああ こんなふうに愛されてるって実感したかったんだーー

それがいくら歪んだ形であっても
私にとってそれがすべてだった
母に愛される手段
それは母の望む私である事なのだ




合格するのがゴールだったかのように
私の成績は下降の一途を辿った
はじめての定期テストは理系科目が
目も当てられない結果だった

今思えばバーンアウトしていたんだと思う
やっぱりもともと私のキャパでは無理な高校だったんだ


そんな頃
志望大学調査票が配られた



母は東京の大学へ行けと言った
存在感の薄い父も同じ意見だった


私の地元は控えめて言っても
わりと田舎で
なんだか生きづらかった
だから高校を出たら都会に行けるのは
渡に船だった

両親は上智だ青学だお茶の水だと
自分たちの憧れを口々に語った
大学進学については
母はまだ「自分の志望大」を決めかねていた




志望大も志望学部も浮かんでこない
やりたい事が見つからない

自分で何かを決めると言うことを
私はしてこなかった

習い事も着るものも
付き合う友達も
そして高校も…
ずっとずっと母が決めてきた




学業が振るわない一方で
思いのほか高校生活は楽しかった
部活は合唱部に入り
1年生のリーダー役になり
クラスにも部活にもたくさんの友だちができた

鶏口牛後の逆で
賢い人たちが囲まれて
いじられ役になるのも悪くなかった



志望大学調査票が配られた頃
合唱部の先輩に志望大学が浮かばないと相談した

先輩は普段から良くしてくれる
気さくな人だった

「私、音大に行こうと思ってる。
文系だけど、
経済とか人社とか言われても
全然ピンとこないし。
やっぱり私は音楽が好きだから、
単純に音大を選んじゃった。」

はにかみながら
でも真剣に先輩は語ってくれた



穏やかに語る先輩の傍らで
私は雷に打たれたような衝撃を覚え
なにかの殻から出てきた
私に自我が芽生えた瞬間だった


私も音楽が好き
歌うことが好き
子どもの頃から習っているピアノも好き

そうだ
東京の音大に行こう
すぐにそう決めた

幸い母の志望大学はまだ固まっていない
反対されるかなと思いつつ
重い口を開いた


「お母さん、私音大に行きたい…。」
小さな震え声でやっと絞り出した言葉だった

「音大⁉︎なに言ってるの?
ちゃんと勉強して良い会社に入りなさい!
ほら青学とか立教なら行けそうでしょ?
そこにしなさい。」

0,1秒ほどで
私の決意を否定された

だが
人生で初めて意志を持った私はあきらめなかった
自分の意思を持って努力するって
こんなにも幸せなんだと
高校1年生にして知った

私には反抗期がなかったが
あえてあったとすれば
音大受験が反抗期だったと言える








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